東京から、地元・北海道へ。キャリアチェンジで、生きる喜びも大きく変わる。

東京から、地元・北海道へ。キャリアチェンジで、生きる喜びも大きく変わる。

東京から、地元・北海道へ。
キャリアチェンジで、生きる喜びも大きく変わる。

このストーリーのポイント

  • 国際線の客室乗務員から稚内信用金庫へ
  • 中途入庫でも基礎から学びながら無理せず溶け込めた
  • 地域に密着した働き方が心地いい

航空会社という異業種から、思い切って転身。不安よりも、大好きな地元へ帰ることの喜びでいっぱいだった。地域貢献のやりがいを実感しながら、残業ほぼゼロという環境の中で充実の日々を送る。

PROFILE
稚内信用金庫

山森 琴未

琴似支店
2023年入社

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北海道・猿払村出身。アジア太平洋学部卒。大学進学と同時に地元を離れ、九州の大学で学ぶ。卒業後は航空会社に入社して東京へ。客室乗務員として国際線に約3年間乗務する。その後、故郷へのUターンを志して幼い頃からよく知っていた稚内信用金庫に入庫し、鬼志別支店で新たなスタートを切る。現在は琴似支店に勤務。

憧れだった客室乗務員の仕事

新卒で国際線の客室乗務員の道を選んだのは、幼い頃から旅行が好きだったこと、英語が得意だったことなどが理由でした。狭き門であったことは確かですが、東京での国際的なスポーツイベントの開催が迫っていたこともあって採用枠は拡大。そんな巡り合わせもあって、入社することができました。

ところが入社と同時に襲ってきたのが新型コロナウイルスによるパンデミックです。これは不幸な巡り合わせということでしょう。意気揚々と乗り込んだ国際線の機内はガラガラでした。
それでも様々な事情からリスクを冒してでも飛ばなければならないお客様も、少なからずいらっしゃいました。中には全身防護服の方も。そうした方々をお支えすることに大きな使命感を抱きながら、業務に取り組んだものでした。とてもやりがいのある仕事だったことは確かです。
しかし、コロナ禍が続く中で会社の業績は下がり続け、自分の将来に対する不安も大きくなる一方でした。
「北海道に帰ろうかなあ」。自然とそんな気持ちが湧いてきました。

私は生まれ育った北海道が大好きです。大学こそ、学びたい学科が地元になかったので九州で暮らすことにしましたが、卒業時には戻ってくることも考えたほどでした。客室乗務員を選んだのは迷いに迷った末で、その時も「いつかきっと帰ってくる」と決めていたほどです。
北海道は私の故郷です。家族がいて、友達がいて、幼い頃から私を見守ってくれた人々がいる。日本ハムファイターズも大好きです。
「いつかきっと」と思っていたその時がやってきたのかもしれないと考え、私は大空での仕事に別れを告げて、北海道の広い大地に戻ってくる決断をしました。

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よく知っている仲間と働く安心感

私の出身地の猿払村には稚内信用金庫の鬼志別支店があります。子供の頃から私にとって身近な存在で、家に集金に来てくれる職員さんとよく遊んでもらったものでした。その鬼志別支店で欠員募集の話があると聞き、ぜひここで働きたいと思いました。これも素晴らしい巡り合わせです。
もちろん不安はありました。特に金融に関する知識がまったくなく、未知の業界であることは最大の不安材料でした。けれど入庫してから少しずつ勉強していけばなんとかなると腹をくくることに。残業がほとんどないということでしたので、勉強の時間は十分あると思ったのです。
入庫して懐かしい鬼志別支店に配属されると、窓口にやってきたお客様は皆さん「なんでここにいるの!」「どうしたの」とびっくりされました。地元に密着した金融機関だから、お客様も地元の顔見知りの方がほとんどなのです。この温かさは、稚内信用金庫ならではの魅力でしょう。
本部に行ったら、かつて我が家へ集金に来てくれていた職員さんがいらっしゃって「大きくなったねえ」と、おっしゃっていただけました。帰ってきて本当によかったと、胸が熱くなりました。

驚いたのは研修の手厚さです。新卒入庫の皆さんと一緒の研修で、利尻島や礼文島の支店を訪ねたり、取引先の経営者様のお話を伺ったり。支店を巡るツアーもありました。
金融や業務の基礎を学ぶ座学も含め、研修はすべて新卒の皆さんと同じでした。中途入社であっても同期の仲間がいるのは嬉しかったですし、新卒の皆さんも私を快く受け入れてくれました。
一般的に中途入社と聞くと即戦力として見られるイメージがありますが、業界未経験だった私は新人として迎え入れてくださいました。おかげで穏やかな気持ちでスタートを切ることができました。

鬼志別支店も、現在勤務している琴似支店も、職場の雰囲気はとてもアットホームです。わからないことがあれば先輩に気兼ねなく質問できますし、同じことを質問しても笑って教えてくれます。心理的安全性が高く、落ち着いて仕事に取り組める風土があります。
何よりも、顔も人柄もよく知っている仲間と一緒に仕事ができる点が、私にはありがたく感じられました。前職の客室乗務員の場合は、フライトごとにメンバーが変わるので、その場限りの仲間と仕事をすることがほとんど。稚内信用金庫での働き方はそれと正反対ですので、互いにわかり合える仲間と仕事ができる心地よさを感じています。大きな組織では得られない魅力ではないでしょうか。

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地域の人々の悩みや相談に寄り添う

現在は札幌市にある琴似支店で窓口業務に就いています。仕事内容としては、預金の入金・払出、定期預金の作成・解約などが中心。地元の個人のお客様がほとんどで、世間話を交わしたり、ちょっとしたご相談を受けたりと、距離の近さが魅力です。接客時間も長めです。
琴似支店のエリアでも高齢化は進んでおり、お客様から「そろそろ相続のことを考えたい」という声も聞かれるようになりました。そこで専門のコンサルタントにご協力いただき、琴似支店の企画として相続のお悩み解決プロジェクトを立ち上げて相談会を開催しました。
お客様からは「不安だったことがクリアになった」「どこに相談したらいいかわからなかったので助かりました」との声をいただき、私も嬉しかったです。すぐに支店の業績に結びつくわけではありませんが、少しでも地元の皆さんのお役に立ててよかったです。

地域密着の姿勢は、地域に支えられている信用金庫ならではのものでしょう。鬼志別支店でも琴似支店でも、地域活動には積極的に参加しています。お祭りなどの行事に参加したり、マラソン大会などのイベントのお手伝いをさせてもらったり。
私たち自身も楽しみながら参加することで、地元の方々の距離が近くなっていくことを感じます。まさに地域に根づいた金融機関ならではの取り組みです。
高齢化や過疎化といった課題と向き合いながら地元にずっと寄り添っていく、そんな金融機関でありたいと考えています。

稚内信用金庫内の活動としては、英会話道場が印象に残っています。
インバウンドブームにより利尻島や礼文島にも外国人のお客様が押し寄せ、支店を訪ねてこられる方が目につくようになりました。元来、外国人と触れ合う機会などほとんどなかったので、英語でのコミュニケーションに尻込みする職員が多かったのは確かです。そこで少しでも英語アレルギーが解消されればと企画したのが、英会話道場。客室乗務員時代の接客経験を活かして私が講師役を務めたほか、稚内観光協会のご協力で教材も利用させていただきました。
こちらもすぐに成果が上がる取り組みではありませんが「英語に対する抵抗感が薄れた」という職員の声を聞きました。前職のスキルと経験を活かせたことは、嬉しかったです。

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必ず地元に帰ってくるのが北海道出身者

残業はほとんどありません。定時の17時に終業するとすぐに帰宅する毎日です。おかげで大好きなファイターズの応援のためにエスコンフィールドに通うこともできますし、地元のバレーボールチームで汗を流すこともできます。
客室乗務員時代は、国際線でしたから当然のことですが、一度飛び立ったら何日も家に帰れないことが当たり前でした。自分の家に帰れるだけで、幸せだったものです。
今ではそんな生活パターンから一転。ワークライフバランスの充実を実感しています。

この先私も結婚や出産、子育てというライフイベントを迎えるでしょう。それらと両立させながら、ぜひ稚内信用金庫での仕事は続けたいと思っています。
もちろん産休・育休、介護休暇等の制度は十分に整っており、実際に子育てしながら働き続けている先輩方も多くいらっしゃいます。その背中を見ていると、私もきっとやっていけるという自信が湧いてきます。女性として生きていく上で、お手本となる方々が身近にいらっしゃることは、とても心強いです。

北海道で生まれ育った人は、たとえ一度外に出たとしても、いつか帰ってくる人が多いように感じています。みんな、北海道が大好きで、北海道で暮らしたいと思っているのでしょう。
人も自然も食べ物も、北海道は何もかも素晴らしく、誇りに思います。
「帰ってきてよかった」。今でも心の底からそう感じています。

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