メカからシステムへ、自分の領域を広げる。技術者としてのキャリアの可能性も広がった。
メカからシステムへ、自分の領域を広げる。
技術者としてのキャリアの可能性も広がった。
このストーリーのポイント
- 技術営業だった父の影響で自分もCEを志す
- CEとしてATMの点検や障害対応に従事し、経験と知識を積み重ねる
- 7年目にSE(システムエンジニア)となり、自動化システムの導入に携わる
ものづくりが好きだった子ども時代。その思いが高じてCE(カスタマエンジニア)限定で就活を進め、当社に入社する。CEとして6年間経験を積み、キャリアの新たな可能性を実現するためにSE(システムエンジニア)に。今、この分野の第一人者を目指す。
オムロン フィールドエンジニアリング株式会社
畔田 真一
IB事業本部 IB新規ソリューション部
2016年入社。情報工学科卒。千葉県出身。技術営業だった父の姿に憧れ、同じ道を志す。公共性の高い機器に触れられることに惹かれ、オムロン フィールドエンジニアリングに入社。神奈川、東京の拠点を経て、ロボティクスソリューションの部署への異動のタイミングでSE(システムエンジニア)に職種転換。現在に至る。
父の背中を追ってCEの道へ
おもちゃを分解したり、ラジオを組み立てたり。子どもの頃から私はものづくりが好きでした。小学生の頃には父と一緒に秋葉原へ行って、工作のパーツを買ってもらったものです。技術者だった父の影響を受けたのは、間違いありません。
パソコンも小学生の頃から触っていました。
高校では吹奏楽部に入り、部長を務めました。書類やスケジュール表などの作成にWordやExcelを使うと友達に「すごい!」と驚かれて、気をよくしたものです。
そんな背景から大学では情報工学科に進学。自分では論理的な考え方は苦手だと思いつつも、卒論もプログラミングについてのテーマを取り上げました。部活では軽音楽部に所属して、高校時代から引き続きトロンボーンを演奏しました。仲間と気持ちを通わせながらアンサンブルする気持ちよさは、言葉には表しきれないものでした。
ものづくりが好きでしたが、できればユーザーに近いところで仕事がしたいと思いました。そんなときに道を示してくれたのも、父でした。父はラジコン開発の技術営業をしており、その話を聞いて私も同じCEを志したいと思ったのです。ですから就職活動は、CEという職種限定で進めました。そして情報収集する中で飛び込んできたのが、オムロン フィールドエンジニアリングのCEの仕事でした。
パソコンと向き合ってシステムを開発するよりは、ユーザーの近くで技術者として働きたいと思っていた私にとって当社のCEの仕事はイメージ通りであり、ここしかないと思って入社を決めました。
直すのは機械ではなく人間
入社後に配属されたのは神奈川の拠点です。ここで私は金融機関のATMや小売店のPOSレジの保守、さらにはAED導入のサポートなどに従事しました。入社直後は先輩に同行しながらマンツーマンで仕事を教わりました。最初の頃こそ先輩に言われるままにこなすのに精一杯でしたが、すぐにひとり立ちして、仕事を任せてもらいました。
子どもの頃から機械いじりが好きでしたから、ATMなどに触れられるのはとても楽しかったです。とはいえ、大変なことも多かったです。例えばそれまで正常に動いていたATMが、私が点検を終えた途端に動かなくなってしまったことがありました。大いに焦った私はその場で先輩に電話してアドバイスを仰ぎ、事なきを得たものでした。
メカ好きにとってCEの仕事は、本当に楽しいものでした。機械に触れるたびに知識が増えていく実感は、本当に気持ちよかったです。
最初の頃は時間がかかっていた障害対応も、次第に手際よくできるようになりました。それにつれてお客様から「助かりました」という言葉をいただくことも増えていきました。
この頃先輩から教わったのが「我々の仕事はただ機械を直して終わりではなく、お客様との信頼関係を構築し直すことだ」という言葉です。CEにとって本当に大切なのはお客様と信頼関係を築くことであり、信頼関係さえあればたとえ障害対応に時間がかかっても、仕事はスムーズに進むという意味です。要するに大切なのはお客様とのコミュニケーション。CEとしてのあるべき姿を痛感した言葉でした。
神奈川の拠点で3年の経験を積んだ後、東京の拠点に異動しました。担当は都内の港区や目黒区に設置されたATMの障害対応です。設置されたATMの数は膨大で、大げさでなく50メートルおきにATMが設置されているほどでした。1台の障害対応中に次の要請がメールで飛んできて、まるでわんこそばを食べているかのように次から次へと要請が入ってきます。一日中、現場を飛び回っていました。
この圧倒的な忙しさを経験するうち、私の中に膨大な知識が蓄積されていったのです。次第にメールで障害の内容を見るだけでおおよその原因が推定できるようになり、対応もスピーディーに行えるようになっていきました。CEにとって場数を踏むことがいかに重要か、身をもって知りました。
自分の可能性を信じてSEの道へ
経験と知識を積み重ねていくうち、全体的なトレンドが見えてくることに気がつきました。例えば「××という機種のATMの不具合が続いたのはモータの耐用年数が原因だった。次は同じモータを搭載している別の機種があやしい」という具合に。そうした情報を私の担当エリアだけでなく都内全域で共有すれば、前もって障害対応の準備をすることができます。そうした取り組みをしたことで、私自身の視野もずいぶんと広がりました。
一方、CEとして実績を上げていくにつれて、次第に他のことにも挑戦したいという気持ちも湧いてきました。自分自身をもっとキャリアアップさせたくなったのです。上司には半期に一度の面談の場でそんな思いを伝えており、上司も私のキャリアアップのサポートをしてくれました。
そうした思いがかなったのか、製造現場の自動化システムなどを手がけるロボティクスソリューションの部署への異動が決まりました。職種はSEです。 ロボットなどのメカにも触れつつ、上流工程でシステムの設計にも携われるということで、成長著しいロボットの分野で自分も一緒に成長できると、ワクワクしました。
現入社7年目、私はロボティクスソリューションの部署に異動。職種もCEからSEへと変わりました。
ロボティクスソリューションの部署では、半導体工場や倉庫などに自律移動型ロボットを組み込んだ自動化システムの導入に携わることを目的としています。3年前に立ち上がった比較的新しい部署で、当社にとっても次の成長を牽引するキーマンとして期待されています。センサーや制御機器、ベルトコンベアなども含めて、エンジニアリングの提供から導入後の運用サポートまで一気に手がける、技術者にとって非常にやりがいのある仕事です。
いつか営業にも挑戦したい
ロボティクスソリューションの部署に異動してすぐ、私はPM(プロジェクトマネジャー)を任されました。担当したのは倉庫内でロボットにカゴ車を運ばせるシステムです。当社にとってはもちろん、機器を開発するオムロンにとっても初めの試みとなる案件でした。この重要なプロジェクトを、異動したばかりでSE経験のない私に任せてくれたわけです。上司の「この分野の第一人者になれるぞ」との言葉には、強く背中を押されました。
PMとしてシステムの上流から設計を担当。他のベンダーと打ち合わせをしながら全体像を設計し、ロボットの設計や搬入後のテストも含めて、トータルにプロジェクトを進めていきました。SEというよりは社内外の技術者全体を統括するSI(システムインテグレーター)のほうが近いかもしれません。このシステムは無事に完成。お客様の倉庫内で無事に稼働する様子を見たときは、嬉しかったです。大きな達成感が得られました。
現在私は29歳です。30歳という技術者として節目の年齢を前に、CEからSEへと歩む道が変わりました。倉庫の案件を成功させたことから、同じような案件の相談が舞い込んでいます。しかも「畔田さんにお願いします」とバイネームでの依頼もあることを、誇らしく思っています。
今後は提案力に磨きをかけて、自動化システムの構想の段階から取り組めるようになりたいと考えています。また、よりお客様に近いところで仕事をしたいという思いがあるので、営業にも挑戦するつもりです。設計から保守まで一貫してできる当社だからこそ、こうした幅広いキャリアの道があるのは間違いないでしょう。
上司も同僚も後輩も、当社で一緒に働く仲間は誠実で素晴らしい人柄の方ばかりです。お客様も「オムロン フィールドエンジニアリングの方は、本当に誠実に尽くしてくださいますよね」と話しています。
ストレスなく働けるのも、こうした環境もおかげです。エンジニアとして成長できる、素晴らしい場があると感じています。