人に恵まれ、支えられて歩んできた道。ここには背中を押してくれるチカラがある。

人に恵まれ、支えられて歩んできた道。ここには背中を押してくれるチカラがある。

人に恵まれ、支えられて歩んできた道。
ここには背中を押してくれるチカラがある。

このストーリーのポイント

  • 出産を機に退職、5年後に再入行
  • 退職したからこそ実感できた、恵まれた人事制度、環境
  • 新人時代から背中を押され続け、支店長として新たなステージへ

退職後のブランクを経て、再び当行に入行する道を選ぶ。その選択に迷いはなかった。人に支えられながらキャリアを重ねてきたことに改めて感謝し、次は自分が人を支える番だという思いを深くする。

PROFILE
株式会社三菱UFJ銀行

川口 千鶴

長原支店 支店長
2013年入行(再入行)

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2004年、新卒で入行。2009年、第一子誕生を機に退職。その後、日系生命保険会社、地方銀行を経て、2013年に再入行。阿倍野橋支店、大阪駅前支店、高槻支店、デジタルサービス企画部を経て、2024年4月より現職。

人を大切にする姿勢に惹かれて

新卒での就職活動では金融業界に絞って受けました。理由は、モノを売るよりも、人と接する仕事のほうが自分に合っていると感じたからです。当時は金融を志望する学生が多かったことにも影響を受けました。
なんとなく直感で決めたようなところがあったものの、今振り返っても金融はやはり自分に合っていたかなと感じます。

私の大学があった京都は地元の銀行の勢いがあり、採用にも力を入れていました。私も地元の銀行を中心にいくつか受けている中で、大手銀行の面接を受けたのは当行だけでした。当行の面接を進めていく中で、人を大切にしている姿勢に惹かれ、自分もこの銀行で働きたいと思ったことが入行の決め手です。
当時の直観はまったく間違ってなかったと自信を持って言えます。どの職場でも人に恵まれて、常に人に支えられて歩んできました。本当にありがたいなと感謝しています。

入行5年目に第一子が誕生しました。男の子です。当時は結婚や妊娠を機に退職を選択することは珍しくなく、妊娠中体力的に通勤が辛く、業務も十分な対応ができないことにもどかしさを感じた私は退職という道を選びました。
その後、再び働きたいという思いもあり、生命保険会社に入社して法人のお客さまの新規開拓を担当。さらに、人材派遣会社を通じて再び金融機関で働いていた際に第二子の出産を迎え、育児休業に入りました。

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再入行のやりにくさはゼロ。ブランクを感じずに復職

当行のリエントリー制度をたまたま目にしたのは、娘が生まれた直後でした。それまでそのような制度があったことはすっかり忘れていたので、まさに想定外でした。
私が当行を退職して他社で働くようになって感じたのが、それまでいかに恵まれた環境で働いていたかということでした。待遇面が違うばかりでなく、システム等インフラ面の充実、さらには福利厚生や教育制度にも大きな差を感じました。
こうしたことからリエントリーは私にとってこの上ない機会で、迷うことなく応募を決めたのです。

復職後は関西の支店で現在の職種でいうライフプランコンサルタント(LPC)として個人のお客さまに総資産営業を行う業務に従事。異動後は支店長代理に昇格、さらには本部のデジタルサービス企画部でチャネル戦略という支店とは異なる業務に携わることもできました。
こうした歩みを振り返って思うのは、カムバック人材としてなんのやりにくさもなく働けたということです。組織にも違和感なく溶け込めましたし、5年間のブランクはほとんど感じませんでした。新人時代に身につけた銀行業務の基礎もあり、キャッチアップに苦労はしませんでしたし、自ら学ぶための環境も十分に整っており、まるで実家に帰ってきたような心地よさを感じながら、仕事ができました。

復職後は子育てしながら働いたわけですが、2人を別々の保育園に入れざるを得なかったときは、困りました。復職したばかりなので時短勤務制度を利用できるとは思ってもみなかったからです。
ところが当時の支店長が私を案じて「時短勤務にしなくて大丈夫か?」と言ってくださいました。
「しんどいのは今だけや。みんなの手を借りて、数年かかるかもしれへんけど、焦るな」と言っていただいたときは心が軽くなり、人のことを思いやれる方ばかりだと感じました。本当にありがたかったです。私が、人に恵まれ、人に支えられてここまで来たと言うのも、こうした体験があったからです。
こうしたことは、私が元当行行員だからではありません。他行や他業界から転職された方も、まったく同じです。転職や復職は不安に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、心配はいりません。誰に対してもフラットに受け入れ、オープンに接するのが、当行のカルチャーなのです。

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「将来は支店長に」と言われ続けて

長原支店には、社内公募制度を使い支店長として着任しました。私にとって初めての支店長職です。
なぜ自ら手を挙げたかというと、新人の頃から上司に「君には将来、支店長を目指してほしい」と言われ続けてきたことが頭にあったからです。異動の際に将来のキャリアビジョンについて相談するときも、どの上司も私に「支店長を目指せ」と言ってくれました。高槻支店で課長に昇進した際も同様です。そんなふうに言われ続けたことで、自分は支店長を目指すのが当然のことと思い、自然と手を挙げていました。
これも、人に支えられてきたことの証し。キャリアの道を示してもらい、背中を押していただいたことは間違いありません。

そんな、恵まれた環境で育てていただいた私ですが、支店長を目指すことに迷いがなかったわけではありません。
保険会社での多少の法人営業の経験以外は、新卒時の配属も含めてずっと個人営業のキャリアしかないことに不安があり、このまま支店長の職に就く自信がなかったのです。そんな私を見た当時の支店長が「東京の本部に行ってキャリアの幅を広げてきたら」とアドバイスをしてくれました。その勧めに応じて私はデジタルサービス企画部の公募に手を挙げ、住み慣れた関西から思い切って東京に出ていく決心をしました。
大きな決断でしたが、これも背中を押してくれた人がいたおかげです。

デジタルサービス企画部では、店舗移転や統廃合などのチャネル戦略に従事しました。経営に近い場所で銀行内外へのインパクトが大きい重要な施策に携わり、改めて当行の組織規模の大きさや社会的責任の重さを痛感し、目線が一段上がったという自負が得られました。
こうした機会が得られたのも、私だからというわけではなく、人を育てるのが本当にうまい上司に巡り会えたからでしょう。感謝しかありません。

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部下の背中を押して、成長を促す

長原支店は東京・大田区にあります。職員10数名程の支店で、事務担当者だけの店舗となります。営業活動はユニット店である五反田支店の営業担当者が担う体制です。
来店されるお客さまは個人が中心で、高齢者の割合が多いです。
私はこれまでの経験をもとに、支店で働くメンバーのサポートなどを行っています。

支店長の仕事は想像以上に重いですが、人が育つ姿を見るのは楽しく、職員が充実感を抱きながら仕事をしている様子に大きな喜びを感じます。職員それぞれにキャリアの目標があり、かつて私がそうされたように、目標に向かって背中を押し、活躍の舞台を作ることが一番の使命だと感じています。
現在の支店のメンバーは事務のスペシャリストばかりで非常に優秀です。一方、営業職種の経験があるものはいません。社会変容のスピードが加速し、お客さまの期待に応え続けるためには、チームワークはもちろんのこと、個のチカラを向上させることがとても重要です。
そこで私は、1人の職員に取引先での商品説明を任せました。彼女にとっては初めての経験であり、大きなチャレンジです。私と一緒に先方へ向かう電車の中でもトークの練習を繰り返すほど、緊張しながらも一所懸命に取り組んでくれました。
その結果、彼女が大きな自信を身につけたことが、手に取るようにわかり、周囲へもとてもいい影響をもたらしてくれました。経験のないフィールドに踏み出すことは非常に勇気がいることです。思い切ってチャレンジしてくれた彼女には心から感謝しています。

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