すべての経験が成長につながる。可能性を広げていくのは自分自身だ。
すべての経験が成長につながる。
可能性を広げていくのは自分自身だ。
このストーリーのポイント
- 人を大切にする社風に触れて、宮崎銀行に入行
- 窓口からスタートし、銀行業務の基礎を学ぶ
- 法人営業として経験を積み、地域に貢献したい
「宮崎のために」という思いで、関西から宮崎県へUターン就職。経済や金融の知識はゼロからのスタートだったが、着実に経験を重ねてきた。目指すのは、後輩のお手本となる人財。
宮崎銀行
松岡 ひなた
三股支店
2020年入行
宮崎県出身。延岡営業部での窓口業務、個人ローン業務を経て3年目に三股支店へ異動。個人ローン業務、資産運用業務に加え、念願だった法人営業に取り組む。異動に伴って独身寮に入り、一人暮らしを楽しんでいる。
一つの出会いで将来の道が決まった
宮崎県出身の松岡が和歌山県の大学に進んだのは、観光学部で学ぶためだった。
「高校生の頃から、ホテルやウエディングといった業界に憧れていました。地元の延岡にホテルか旅館をつくりたいというのが当時の夢だったんです」
“デカすぎる夢でした”と笑いながら松岡は振り返る。その夢につながる一歩として選んだのが、観光学部だった。
学生時代はアパレルのアルバイトに打ち込み、稼いだお金で旅行を楽しんだ。行き先は国内が中心で、30県は足を運んだという。
「大きい企業の店舗でのアルバイトだったので、組織の一員として仲間と同じベクトルで働くことの大切さを学びました」
就職活動の時期を迎え、松岡が悩んだのが、関西に残って働くか、あるいは地元・宮崎に帰るかということだった。大阪や神戸といった関西の大企業で働くことは魅力的に思えたし、一方で高校時代の夢を思い出して、地元を盛り上げたいという気持ちも強くあった。
「そんな中で出会ったのが宮崎銀行だったんです。福岡で開催された合同企業説明会に参加した際、“宮崎”という文字が目に入り、話だけでも聞いてみようと思いました」
ホテルやウェディング業界を考えていた松岡にとって、銀行はまったく関心の外。ふと立ち寄ったのが宮崎銀行のブースだった。
「和歌山から参加していたので、帰りの飛行機の時間が迫っていました。××時のバスに乗らないといけないんですということを担当の女性の方に伝えたところ、予定を早めて説明してくださったんです。たった1人の就活生のためにここまでしてくれるんだと感動しました」
この出会いをきっかけに松岡の頭の中では、宮崎銀行に就職して地元で働くという選択肢が具体的なビジョンとして明確になった。特に、宮崎ならではの空気感は自分にマッチし、人を大切にする宮崎銀行の社風にもそんな温かさを感じた。
「宮崎県内ではネームバリューは抜群だし、お給料もトップクラスです。内定をいただき、入行を決めました」
それまで銀行の業務はおろか、銀行に足を運んだことすらなかった松岡。
「CMソングは知っていました。『夢に逢いに行こう』っていう、宮崎県民なら誰でも歌えるほど有名な歌です」
それだけの接点しかなかったというのに社会人としての第一歩をここで踏み出すことになったのだから、就職活動とはまさに“縁”だと実感させられる。
窓口で銀行業務の基礎を学ぶ
入行後の集合研修は、コロナ禍で行われた。全員がマスク姿の中、松岡は銀行業務の基礎からじっくり学んでいった。
「印象に残っているのが、日経新聞を読んで気になった記事を要約し、自分の意見を発表するという1分間スピーチでした。それまで新聞をちゃんと読んだことはなかったのですが、新聞を読む習慣がついて、今の法人営業の仕事に役立っています」
観光学部出身ゆえに経済や金融の知識不足に不安を感じていたものの、丁寧な研修によって払拭され、順調なスタートを切ることができた。
最初に配属されたのは延岡営業部だった。まさに松岡の地元である。担当業務はテラー。窓口でお客さま応対をする仕事だ。
「総合職の同期はほとんどが法人営業やマネープランなどを担当することになったのに、私だけ窓口。なんでだろうと思いました」
そんな不安を上司に向けて口にしたところ、返ってきたのが「テラーの業務を経験しておけば、将来、必ず役に立つ」という言葉。実際、窓口に座っていると実に多くのお客さまがやってきて、さまざまな対応をすることになり、松岡は自然と幅広い銀行業務の基礎を身につけていくことができた。
「上司の言葉どおり、幅広い知識を学ぶことができたのは間違いありません」
2年目から資産運用と融資も担当するようになった。ここで松岡は壁にぶつかる。
「お客さまにお電話して『宮崎銀行です』というと、間違いなくお話を聞いていただけます。それほど宮崎県民にとって宮崎銀行は信頼できる存在なんです。ただ、そこから資産運用のご紹介をしても断られたり、せっかくご来店のアポを取ったのに、やっぱりやめますと言われたり」
融資ではマイカーローンや事業性融資を担当。特に稟議書の作成には苦労し、上司の助けを借りながら取り組んでいった。
「融資を急ぐお客さまにとっては死活問題。お客さまのためになんとか間に合わせたいという思いで、稟議書に取り組んでいました」
念願の法人営業に挑戦
3年目に松岡は三股支店に異動する。実家からは車で2時間以上という距離のため、独身寮に入ることにした。朝晩の食事付きなのが嬉しい。
「土地勘もなく、希望していたわけでもなかったので、なぜ三股支店に、と思いました。来てみて街を歩いてみたら住宅用地が広がっていて、これからたくさんの住宅が建つから、ここで住宅ローンを学んでほしいというのが異動の狙いだったのかな。なんて考えました。」
三股支店では個人事業主向けの融資や個人ローン、マイカーローン、住宅ローンなどを担当後、念願だった法人営業も担当することになった。入社4年目のことだった。
もっとも念願ではあったものの、松岡としては少し時期尚早のような気もした。
「もうちょっと事業性融資について経験を積んで知識を増やしてからでもいいかなと思っていたんです。ですから自分としては想像より早く法人営業を担当することになったという気持ちでした」
それは、少し背伸びさせることで成長を促そうという、宮崎銀行の思い。それに応えるべく松岡は、ストレッチしながら業務に取り組んでいる。
「法人営業は奥が深いと感じます。取引先に、お金を借りてくださいって提案するだけじゃ全然ダメで、関係性を深めていく中で真のニーズを引き出し、ソリューションを提案することが求められています」
例えば後継者不在の経営者に対する事業承継スキームを提案したり、一歩踏み込んだ提案をしてくれる税理士を紹介したり。融資は結果であって、大切なのはそこに至るコンサルティングなのだということに、松岡は気がついた。
「決算書や申告書を見てニーズを探ることが求められています。今は上司のアドバイスに頼っていますが、自分で見つけ出せるようにならないと。できればお客さまとお話ししているその場で提案できるようになりたいですね。まだまだ課題は多いです」
オールラウンダーになりたい
女性が自分らしくキャリアを築いていける宮崎銀行。子育てをしながら活躍する女性は多い。出産後に復職するのは、ごく自然な選択となっている。
「私も結婚、出産しても仕事を続けたいと考えています。まだ具体的なイメージは浮かばないし、忙しいときなどは、両立は厳しいんじゃないかなとも思ったりしますが、子育てと両立しながら頑張っている先輩の姿を見ると、私も頑張ろうという元気が湧いてきます」
自分の道を拓くのは自分自身。周囲の環境が、その選択を後押ししてくれるだろう。
実は宮崎銀行への入行を決めた際、松岡の両親はあまりいい顔をしなかったそうだ。
両親は公務員。テレビドラマの影響もあったのだろう、銀行の仕事はハードワークというイメージが先行し、そんな厳しい仕事でなくても、と言われたそうだ。
その両親も、今では松岡の強い味方だ。
「“宮崎銀行に相談があるみたいだけど”と言いながら、私に知り合いを紹介してくれることもあります。その姿に、私のことを応援してくれているんだと感じ、嬉しくなります」
宮崎県では知らない人のいない宮崎銀行。自分の子どもが勤めていて喜ばない親はいないだろう。きっと松岡の両親も、松岡のことを誇らしく思っているに違いない。
「高校生の時はホテルや旅館を建てて、自分が中心になって宮崎県を盛り上げたいと思っていました。でも今は、サポート役として地域を盛り上げたいと考えています。主役はあくまでも地域の皆さんです」
目標とするのは、銀行業務なら何でも任せてもらえるオールラウンダーになること。1年目のテラーとしての経験も、そのための大切な財産となっている。
「後輩の皆さんが私を見て、こんな社会人になりたいって思ってくれるような存在になれたら嬉しいです」