「One for all All for one」 営業はラグビーと似ているからこそ面白いと実感
「One for all All for one」
営業はラグビーと似ているからこそ面白いと実感
このストーリーのポイント
- 目標を見失っていた自分にチャンスを与えてくれたラグビーの恩師
- 社会の役に立てる仕事。採用担当者の人柄にも惹かれ菊水化学工業へ
- 1年目の苦労が、2年目に花開く。今や営業所を引っ張る存在に
公務員を目指していたが、合格できずに断念。知人の紹介で就職するものの、自分の心の中に燃えてくるものが見つからなかった。そんな河合を救ったのが、中学時代のラグビーの恩師からのキラーパス。菊水化学工業で働くチャンスをモノにし、今や河合は営業所の大黒柱として活躍している。
菊水化学工業株式会社
河合 太郎
横浜営業所
2016年5月中途入社
龍谷大学/国際文化学部卒
もともと営業には興味があり、やってみたい仕事であった。菊水化学工業でも建築用塗料の営業として新たなキャリアをスタートさせたが、最初は甘い仕事ではないと痛感させられる日々が続いた。だが、ラグビーで鍛えた精神力でぶつかっていった成果が、2年目以降に大きく開花する。
社会人となるも、地に足がつかない日々が続く
5歳から始めたラグビー。小中学ではクラブチームでキャプテンを務め、地元・大阪府の選抜メンバーにも名を連ねていました。高校や大学でもプレーを続けましたが、いずれも強豪校。今一歩で全国大会へという厳しい試合を何度も経験しました。
ラグビーの好きなところは、チームスポーツであることです。決して、一人でやるわけではありません。仲間が協力し合い、お互いの穴を埋め合いながら勝利を目指していく。そこが素晴らしいと思っています。だから、続けて来れたのかもしれません。
ただ、社会人でも続けることは考えませんでした。それで、大学4年生で部活動を引退したタイミングで、ラグビーは卒業。公務員を目指して勉強することにしたのです。2年ほどチャレンジしたものの、結局公務員には合格できませんでした。それで、企業に就職する道を選ぶことを決心しました。
知人の紹介で最初に入社したのは、神戸の警備会社でした。警備スタッフを含めても、総勢で50名前後。規模は決して大きくはなかったです。担当は警備案件の開拓営業。もともと、営業には興味があり、やってみたい仕事でしたが、いざ働いてみると勤怠管理も成されておらず、かなりの長時間労働になることも珍しくありませんでした。とてもではないですが、この会社で何年も働き続ける気持ちになれず、二年ほどで退職しました。
二社目は、大阪の飲食店。そこでは、接客の仕事に従事しました。ここも、別の知人の紹介。前職を辞めるかどうか悩んでいた時期に、声を掛けてもらったのです。大きなお店ではありませんでしたが、色々な企業の社長さんが多数いらしていました。そうした環境で、コミュニケーション能力を少しながら高められました。
それでも、ここも長く続ける仕事ではないなと感じることがありました。地に足がついていない気がしたからです。一時は公務員を目指していたのに、今は何をしても納得できない。そんな歯がゆさも感じていましたね。そんな目標を見失っていた僕に、中学時代にラグビーチームのコーチを務めていた方から、「ここの面接を受けに行って来い」と声を掛けていただきました。それが、菊水化学工業だったんです。社名を知ったのは、その時が初めて。でも、「きっちりとしたメーカーだ。働きやすい会社だぞ」と勧められました。それで、実際に面接を受けてみたところ、社会を支える事業を手掛けており、担当者の方の印象もとても良く、「すぐにでも働きたい」と思いました。
建築用塗料の営業に。1年目は全く成果を出せなかった
入社後は、大阪にある大阪営業所への配属となりました。菊水化学工業の中では、比較的大きな拠点で、営業だけでも10名ほどのメンバーが在籍していました。年齢の近い先輩も何人かいて、職場にすぐに馴染むことができました。
担当したのは、建築用塗料の営業。自社で製造している塗料を各地域の販売代理店を通じて、建設会社や設計事務所、塗装業者などに提案していく仕事でした。まず、最初の3カ月間は、先輩のアシスタント的について回り、営業のイロハを見よう見まねで学んでいました。その後、一人立ちして主に設計事務所の新規開拓を続けていました。これまで取引実績のないお客様を訪ね歩き、何か案件につながるきっかけを見つけてくるというのが、僕の役割でした。1年目とあって、会社から目標数字は課されず、「自由にやってこい」という雰囲気だったのですが、全くダメでしたね。どこも話を聞いてくれませんでした。挨拶をするのが精一杯。商談の機会を得ることはほとんどありませんでした。連日、その調子だったので、気持ちが折れそうなことが何度かありました。
どうしても上手くいかないので、上司や先輩に良く相談していました。その度に、「もっとこうしたら」とアドバイスをいただいたり、営業先で少しでも話を聞いてもらえた時には、どんなやりとりをしたかを再現し、気になった点を指摘してもらっていました。接客には自信があったものの、やはり「難しいものだなあ」と痛感しました。
とにかく、できることはやろうと思い、顔と名前を覚えてもらうことと業界動向や自社の製品知識を身に付けること、この二つを徹底しました。おかげで、徐々に何回か通ったお客様から、お問合せをいただけるようになりました。「こういった場所では、どういう塗料を使えば良いのか」とか。ただ、すぐに数字に結びつく案件はなく、1年目はほとんど成果を出せないまま終わってしまいました。辛かったですが、「辞めよう」とは一度も思いませんでした。最初の一年は仕方がない。すぐに上手くいくことはないと割り切り、とにかくやり続けていました。
新たな拠点で心機一転。仕事にのめり込む
転機となったのは、二年目で横浜営業所へと異動になったことでした。正直、突然の辞令であったので驚きましたが、楽しみな部分もありましたね。環境が大きく変わるからです。これまではずっと関西で働いてきました。今度は、関東です。新たな気持ちで仕事に取り組める気がしてワクワクしてきました。
横浜営業所は、大阪営業所と比べると営業も少ない人数でした。営業所長のもとに、私を含めて三人しかいませんでした。その分、一人ひとりの役割は大きくなってきます。僕も今度は販売代理店を受け持ち、目標数字を目指していくことになりました。
それだけでも、責任感が高まったのですが、さらに営業所長が退職することになり、さらに大きく環境が変わりました。残された自分たちがしっかりしなければいけないという意識が俄然高まりました。「がむしゃらにやってみよう」という感じでしたね。朝早くに出社して、黙々と働き、その日にやるべきことをやり切るようにしていました。結果的に、段々と成果へと結びついてきたのです。やはり、数字がついてくると張り合いがあります。ますます、自主的に取り組めるようになりました。
もちろん、ルート営業なのである程度の数字はつきますが、それで満足してはいけないと自分に言い聞かせ、提案を続けていました。おかげで、お客様との関係づくりやお困りごとの解決法など、色々学ぶことができましたね。
お客様もそれぞれ個性がありました。中には、無理難題を口にされる厳しい担当者もおられました。「膨大な資料を明日までに出してほしい」とか、「ギリギリの納期に何とか対応してくれないか」など、今日は何を言われるんだろうと夕方になると不安になることも。こういう時は、営業所のメンバーが全面的に協力してくれ、何とか良い形に収めることができました。本当に感謝しています。難題にしっかりと応えると、そのお客様との案件はかなり増えました。
専門性を磨き、頼れる中堅メンバーになりたい
早いもので、菊水化学工業に中途入社してもう6年が経ちました。営業所でも中堅と呼ばれる存在となり、より一層売上数字に対する責任感が高まりました。また、今の上司が優秀な営業マンで、その仕事ぶりを見たり真似たりしているうちに、課題解決力も身に付きました。何かあっても、冷静に物事を把握して、的確かつ迅速に対処できるようになってきた気がします。最近は後輩ができたので、色々仕事の相談に乗る機会もあるのですが、上司のように模範になれたらと思っているところです。
今後は、もっともっと営業としての専門性を確立していきたいです。その1つにアスベスト除去工事のを請け負いがあります。アスベストは、一時期、断熱材や保温材として良く使用されていました。健康に害を及ぼすとされ、今では使用が禁止されていますが、一部の建築材にはまだ残存しています。菊水化学工業は、アスベストの粉塵飛散防止処理剤を製造しており、環境対策に余念がないだけに、その分野でもお客様に価値のある提案をしていければと思い描いています。
ラグビーでは良く、「One for all All for one」という言葉が取り上げられます。「1人は全員のために、全員は1つの目標のために」という意味です。学生時代、僕はラグビーしかやってきませんでしたが、最近は営業と言う仕事がラグビーと似ているなあとつくづく感じています。皆が協力して一つの案件を取りに行く。それは、営業所のメンバーだけの話ではありません。生産や技術など部署を越えて、色々な人たちの協力を得て成り立っています。営業の面白さを今感じ始めているのも、ラグビーとの親和性があるからなのかもしれません。