熊本を拠点に国内外でさまざまな経験を積む中、自分が極めていきたい、やりがいのある仕事に出会えた
熊本を拠点に国内外でさまざまな経験を積む中、
自分が極めていきたい、やりがいのある仕事に出会えた
このストーリーのポイント
- 関西の大学を卒業し、熊本で働くために肥後銀行を選択
- 県内外の支店での業務だけでなく、海外での研修や出向も経験
- 台湾企業の進出が加速する熊本。地域経済の成長を支援する醍醐味を実感
熊本県は、世界的な半導体企業の進出により、今や日本国内でも屈指の活気に満ちている地域だ。そんな熊本に根差し、地域のお客様と共に価値を創造し続けているのが肥後銀行である。ダイナミックに変わりゆく地域経済の発展を支えるため、さまざまな分野で行員が活躍している。その中の一人が、現在台湾に駐在している園田だ。
株式会社肥後銀行
園田 真大
国際ビジネス支援部 国際ビジネス支援室 台北駐在員事務所
2012年入社╱商学部卒
熊本県出身。高校・大学ともにボート競技の名門校で、厳しい練習が日々続いたが、応援してくれる両親に報いるため、部活と学業を両立。就職活動では念願の肥後銀行に入行。入行後は、県内外や国外の研修派遣で業務に従事。現在は台湾で駐在員として日々奮闘中。
東日本大震災を機に、「故郷・熊本にために」働くことを決断
私は高校と大学時代、ボート競技に青春を捧げました。早朝の冷たい水しぶき、筋肉が悲鳴を上げるほどの厳しい練習。本当にきつかった。何度も「もう限界だ」と思い、チームメイトとぶつかることもありました。それでも、仲間との約束とインターハイ優勝という目標に向かって、歯を食いしばって漕ぎ続けました。
特に印象に残っているのは、最後のインターハイ前の特訓です。体力の限界を感じ、心が折れそうになったとき、「ここで折れてはいけない」と自分を励ましました。チームや恩師からの「お前ならできる」という言葉が心の支えとなり、最後の力を振り絞ることができました。
インターハイで優勝した瞬間、これまでの苦労が報われた喜びと、仲間との絆の深さを実感しました。あの経験は私にとって一生の宝物です。 大学では、先輩や後輩と寝食を共にする合宿所生活を送りました。大学生活のほとんどを通学と朝夕の練習に費やし、アルバイトもできませんでした。そのため学費や生活費、部費もすべて仕送りに頼っていました。自由にやりたいことをやらせてくれた両親のために、「社会人になったら必ず恩返しをしたい」という気持ちを強く持っていました。 就職活動を始めた当初は、関東や関西の大手企業を中心に見ていました。都会への憧れや自分の力を試したいという気持ちがあったからです。しかし、2011年の東日本大震災をきっかけに心境が変わりました。被災者の懸命な姿を見ているうちに、両親と地元熊本のことが思い浮かび、「故郷のために仕事をしたい」という気持ちが強くなりました。 熊本で働くと決めた段階で、第一志望に位置付けたのが肥後銀行でした。肥後銀行は熊本出身の私にとって馴染み深い企業で、地域に根ざした事業を行い、経営も安定しています。部活動の仲間からは「金融機関では緻密さが求められる。細かな作業が苦手な性格では向いていないのでは」と言われましたが、負けず嫌いの私は「ならばチャレンジしてみよう」と思いました。 実際に大阪支店で面接を受けた際、想像以上に話しやすい雰囲気でした。金融業界の方には堅いイメージを持っていましたが、自分らしく話をすることができました。他行での面接ではマニュアル通りの対応が多かったため、肥後銀行の印象はとても良かったです。面接を終えた時には、「肥後銀行なら両親にも恩返しができ、地元熊本の経済発展にも貢献できる。ここで内定をもらえたら絶対に入社したい」と考えるようになりました。入社が決まった時には両親もとても喜んでくれました。上海での語学研修や台湾での研修派遣を通じて自らのキャリア観を確立
最初の配属先は光の森支店で、周囲には国内の半導体企業や自動車メーカーの工場が次々と進出しており、非常に開発が活発なエリアでした。私はここで業務係と融資係を計3年間経験し、銀行員としての基礎を確立しました。
その後、初めての異動先は中国・上海でした。「1年間にわたって語学研修を受けてきてほしい」との辞令を受けました。突然の連絡に驚いたことを今でも覚えています。上司には「業務の範囲や知見を広げるためにも県外の支店で働いてみたい」と話していましたが、まさか国を越える異動となるとは思いもよりませんでした。
現地では学校に通い、留学生や企業派遣の方々を対象とするクラスで1日10時間以上、中国語で授業を受けました。最初の1カ月間は非常に厳しく、中国語は全くの初心者だったため、言葉が理解できず、自分の思いを伝えることができないもどかしさに何度も心が折れそうになりました。それでも、継続して中国語を学び続けるうちに、徐々に現地の生活に慣れ、コミュニケーションが取れるようになり、自信もついてきました。前向きな気持ちで物事を受け入れられるようになったのは、その時でした。
語学研修を終えた後、大手都市銀行の台湾・高雄支店と台北支店で研修派遣という形で2年間働く機会をいただきました。これは私にとって非常に大きな経験となりました。メガバンクは豊富なリソースや情報を持ち合わせています。当時、台湾と肥後銀行とのつながりはまだ密ではありませんでしたが、実際に現地で多くの台湾企業を訪問し、その活気を肌で感じることで、台湾の勢いを深く理解することができました。この経験は、肥後銀行の中でもいち早く得ることができたのではないかと思います。それは私にとって非常に幸運なことでした。 この頃から、「海外を舞台に仕事をしていきたい」というキャリア観が高まってきました。銀行では一般的にゼネラリストを育成するために多くの部署を経験する流れがありますが、海外での経験を通じて、特定の分野で突出した強みを発揮できる銀行員になりたいという気持ちが強まっていきました。地方経済が今後直面する人口減少による市場縮小という課題に対し、海外ビジネス展開は有効な手段です。私の強みである海外での経験や知見を活かし、お客様や銀行に貢献したいという思いが募りました。 その追い風となったのが、2021年10月、台湾の世界的な半導体企業が熊本県内に新工場を建設するという発表でした。間違いなく、これは私の銀行員としてのキャリアにおいて大きなターニングポイントとなった出来事です。