真正面から、誠実に。逆境こそが成長へのチャンス。
このストーリーのポイント
- インフラを支える安定感に惹かれて、橋本産業に入社
- 若手時代、中堅時代と、困難に直面しても正面から立ち向かう
- 現在は支店長として人材育成に力を入れる
お客さまに叱られたり、予期せぬトラブルに見舞われたり。どんなときでも佐古は、逃げることなく真正面から立ち向かってきた。その姿勢が大きな信頼を得ることになり、自身の成長にもつながった。”ピンチこそチャンス”。身をもって経験し、学んだものを若手に受け継いでいきたいと考えている。
-profile-
佐古 篤
橋本産業株式会社
横浜支店 支店長
2001年入社/経済学部卒
京都府出身。入社後、横浜支店、本社営業二部を経て、2018年より現職。趣味はサーフィン。子供が生まれてしばらくは海から離れていたが、最近は湘南の海に出かける時間も生まれるように。キャンプも好きで、小4、小1の娘を伴って、家族でキャンプを楽しむことも。
コミュニケーション力を活かしたいと営業職を目指す
サーフィンを始めたのは、京都の実家で浪人生活を送っていたとき、海でサーファーの姿を目にしたことがきっかけでした。どうせやるなら湘南の海がいいと思い、横浜の大学に進学。サーフィン部に所属して、湘南をホームにいい波を追いかけて各地へサーフトリップする学生時代を過ごしました。冬もバリ島で3週間、サーフィン合宿。年2回の全日本学生サーフィン選手権を目標に、仲間と技を磨きました。
海の中では人間の無力さを思い知らされるものですが、大きな波に身を委ねる感覚はサーフィンならではの醍醐味です。
就職活動は氷河期のまっただ中でした。
希望していた職種は、営業。人と接することが好きで、コミュニケーション力には自信がありました。ただ業界にはこだわらず、とにかくエントリーシートを出せるだけ出しましたが、結果はついてきませんでした。セミナーへの参加すら断られることも多かったです。
そんな中、学内で開催された説明会で出会ったのが、橋本産業でした。社名は知らなかったものの、説明を聞いて、インフラに関わる仕事だということに惹かれ、安定感があると感じました。結局、就職活動で得た内定は2社。どちらも営業職でしたが、ルートセールスは腰を落ち着けてお客さまとじっくり向き合えるのではないかと考えて、橋本産業に入社することにしました。
自分に腹が立ったから、自分を変えていった
最初に配属されたのは、現在私が支店長を務めている横浜支店です。
最初の半年は先輩に同行してお客さまを訪問し、社内の業務を手伝い、配送業務も行いました。新人でしたので、一つひとつ、経験しながら業務を吸収していきました。
その後、営業担当として1人で行動するようになったのですが、今でも覚えているのはその初日のこと。先輩社員が飲みに連れていってくれて「頑張れよ」と励ましてくれたことです。「困ったときは助けてやるから」という言葉が心強かったです。
先輩から引き継いだお客さまを担当し、提案活動を行いました。
とにかく若手の頃は、よくお客さまに怒られたものです。見積もりを間違えたり、お客さまのご要望から外れた提案をしたり。3年目にはとうとう「担当者を変えてくれ」とお叱りを受けたことがありました。営業にとっては屈辱的な出来事です。このときは上司と一緒にすぐにお客さまを訪問して「なんとか続けさせて欲しい」と頭を下げました。上司も後から「佐古を一人前に育てたいので長い目でみてやってくれませんか」とフォローの電話を入れてくれたようです。おかげで引き続き担当を続けさせてもらうことができました。
このとき、私は自分自身に対して一番腹が立ちました。お客さまに「担当を変えろ」と言われたのは、他の誰でもなく、自分のせいです。そんなことをお客さまに言わせてしまった自分が、一番悪いのです。以来、仕事への考え方が大きく変わりました。自分の中にあった甘さを取り払い、全力で仕事と向き合うようになったのです。先輩に教わった「約束は必ず守る。嘘はつかない。常にお客さまの立場で要望に応える」という言葉を心に叩き込み、お客さま1人ひとりと真剣に向き合うことを自分に命じました。結果として、今では長年のおつきあいのあるお客様となりました。
辛いときもあったけれど、逃げだそうとは思わなかった。石にかじりついてでも成長したいと思って、過ごした日々でした。
トラブルから逃げなかったことで、信頼関係を深める
10年目に本社に異動し、社内でも売上が5本の指に入るほど大きなお客さまを担当することになりました。歴代の担当者はそうそうたる先輩ばかり。私が担当したら売上が落ちたなどということは許されませんから、プレッシャーは相当なものでした。既に結婚もしており、ここが勝負の時だという思いでした。
しかし実際に担当してみると、常に前任者と比較され、お客さまから厳しい言葉をいただくことも珍しくありませんでした。とにかく売上を伸ばしたい、自分という人間を認めてもらいたい一心でお客さまと真摯に向き合い、コツコツと人間関係を築いていきました。時には無理なご要望もありましたが、頑張ってお応えすることで次第に信頼いただけるようになっていったのです。心の中にはいつも、横浜支店時代に先輩から教わった言葉がありました。
ようやく信頼関係も築けたと思える中、想定外の大トラブルが発生しました。ある大型案件を受注したのですが、納入の直前になって商材が間に合わないことが判明したのです。絶対に納期遅れは許されない重要案件だったにもかかわらず、商材を製造するメーカーの遅れから発生したものでした。
お客さまには包み隠すことなくすぐに現状を報告し、それからはリカバリーのために全力で対応を進めました。そんな中で妻の出産も重なり、公私ともに本当に正念場だと感じたものでした。結果的に納期遅延にはなったものの、誠心誠意対応した事も認めていただき、製品は無事に収めることができました。
納期に間に合わないという、あってはならないトラブルで、事の発端はメーカーにありました。しかし私はメーカーのせいにせず、解決のために真正面から立ち向かいました。お客さまにはその姿勢を高く評価していただき、むしろ信頼関係を深めることができたと思います。今では当時のことを笑い話にしながら、お客さまの役員の方々とお酒を飲むことも。
大きな波がやってきたときこそ、逃げることなく立ち向かい、身を委ねることが大切なのでしょう。ピンチこそチャンス。自分次第で、その波に乗ってさらに高みを目指すことができるのです。この体験から得たことは、後輩たちにもしっかり受け継いでいきたいと考えています。
自分を育ててくれた支店に、支店長として恩返しを
入社18年目、41歳となった私は、横浜支店に支店長として戻ってきました。まったく想定外の異動で、「まさか」というのが正直な思いでした。
私が社会人としてのスタートを切った場所ですから、思い入れは非常に強いです。いろんなことを教わり、同時にいろんな迷惑もかけました。支店長となったからには、その恩返しをしたいという思いで赴任しました。
かつて叱られたお客さまからは「お帰り! 君が支店長になるとはねえ」という言葉をいただき、胸が一杯になりました。お客様にもとても喜んでもらいました。何倍もの恩返しをしたいと思っています。
支店長は一国一城の主です。支店のすべてについての責任を負う立場です。これまでは担当者としてお客さまと向き合ってきましたが、支店長としては支店全体の業績拡大とマネジメントが仕事となります。部下との同行や新規顧客開拓、トラブル対応、そしてお客さまや仕入先の上層部との関係づくりなどに取り組んでいます。4人の課長が私の下にいるので、権限委譲しながら、私がいなくても組織としての力が発揮できるような環境にしていくことが目標です。
そして何よりも力を入れているのが、若手の育成です。これは本社時代に学んだことですが、6の力の人材に10の結果を求めても無理なだけ。潰してしまうことにもなりかねません。6の力しかないなら7の力を身につけるよう、引き上げていくことが育成なのです。そして7の力がついたら次は8を目指せばいい。そんな方針で若手を育てていきたいと考えています。
現在は、明るく風通しのいい職場作りを心がけています。橋本産業ならではの人間味あふれる風土を大切にしつつ、より働きやすい環境づくりに取り組んでいきます。そして規模も売上も、さらに大きな支店へと育てていきます。
私自身も様々な責任や立場を経験し、ステップアップしたいと考えています。志と意欲があれば、何でもチャレンジできるのが橋本産業。まだまだ成長を続けていきます。