日々の経験が、自分を大きくしてくれる。それが「橋本産業」での成長ストーリー。
このストーリーのポイント
- 小学校から続けた野球を通じて、努力することの大切さを知る
- 人間味あふれる社風に惹かれて入社
- 先輩たちに支えられて経験を積み、さらに大きく成長すべく挑戦中
自分を応援し、必要としてくれた熱い気持ちに応えて、橋本産業へ。以来、杉田は日々の努力を通じて成長を重ねてきた。営業としての歩みに、近道はない。そのことを知る杉田は、きょうも一歩ずつ高みを目指す。
-profile-
杉田 裕司
橋本産業株式会社
横浜支店 営業二課
2017年入社/経済学部卒
埼玉県出身。入社後、本社営業3部を経て、2018年8月より現職。小学生の頃から野球を続けており、今も会社の野球部に所属して多いときには月に2、3回試合をしている。趣味はダイビング。週末は伊豆まで出かけて海に潜っている。
仲間を支え、仲間の気持ちに応えた野球生活
野球を始めたのは、地元のクラブチームに入っていた兄の影響です。一緒に遊んでいるうちに自然とボールに親しむようになっていました、以来、今に至るまで野球一筋。高校生活も部活に明け暮れました。もちろん練習は厳しかったですが、やめたいと思ったことはなかったです。野球が大好きだったから、夢中で打ち込みました。
大学でも当然のように野球を続けました。寮生活は楽しかったですし、同学年の仲間はもちろん、先輩やOBなど、人間関係もずいぶんと広がりました。その中で身につけたコミュニケーション力や、人の気持ちを思いやることは、私の強みです。また素振りなどの単調な練習も手を抜かずに続けることで身につけた継続力や、苦しくても投げ出さないメンタルも、野球のおかげです。
思い出すのは大学4年生の秋、最後のリーグ戦のことです。私は仲間とともにリーグに向けて練習に打ち込んでいました。そんな時、コーチに”スタンドで応援団をまとめる役”か、”ベンチで仲間を支えるサポート役”どちらかを選ぶようにと言われました。もちろん試合に出る可能性がなくなるわけですから「どちらもイヤです」と涙ながらに答えました。最後の大会ですからどうしても選手として出場したかったのです。
けれど大勢の仲間たちが自分の力を頼りにしているんだと思い直し、その気持ちに応えようと、ベンチでのサポート役を引き受けようと決めました。その大会でチームは見事に優勝し、1部昇格を果たすことに。私はサポート役として仲間のために力の限りを尽くし、チームのためにやりきったという達成感を得ることができました。大切な思い出です。
「あなたを待っている」の一言に心打たれて入社
野球に打ち込んだ学生生活でしたから、最後のリーグ戦が終わっていざ就職活動となっても、私の中には具体的な目標やイメージはありませんでした。プロ野球や社会人野球に進む仲間もいたけれど、私は特に“これがやりたい”という志もなかったのです。そんな私に対し野球部の関係者の方々が、いくつかの企業を紹介してくれました。中には耳にしたことのある企業もありました。ただ紹介のみで就活に臨むのも不安でしたので、自分でも企業探しをしようと考え、そこで知ったのが橋本産業だったのです。
橋本産業のことを知ったのは、野球部の先輩が入社していたことがきっかけです。その先輩が「仕事は楽じゃないけれど、でも楽しいよ」と声をかけてくれたのです。仕事が楽しいって、どういうことだろう。そんな単純な疑問から興味をもつようになり、橋本産業を受けることにしたのです。
驚いたのは、採用担当者が面接の準備やフィードバックなど、私の立場に立ってきめ細かなアドバイスを送ってくれたことでした。私の強みや弱みを指摘してくれ「こうすれば次の面接も通過するのでは」と指導してくれたのです。なんて人間味のある会社だろうと感じました。
そんな丁寧なサポートのおかげもあって、橋本産業からは内定をいただきました。けれど、野球部の関係者の方々が紹介してくれた企業の選考も進んでいました。私はそのことを採用担当者に正直に伝え、第一志望ではないことを明かしました。すると返ってきたのは「いいよ、答えが出るまで待つよ」との言葉。驚きました。そんなにも私という人間のことを評価し、必要としてくれているんだと感動しました。
心動かされた私は、その気持ちに応えようと、橋本産業に入社することに決めたのです。今振り返ってもその選択は間違っていなかったと思いますし、まさに就職というのは“縁”だと実感します。
フットワークを活かし、新人営業として成果を上げる
入社して配属されたのは、本社の営業3部。ここで私は営業として、社会人生活をスタートさせました。
もちろん商材の知識は何もなく、営業としてのスキルもありません。先輩に同行し、お客さまを訪問しながら、現場でさまざまなことを吸収していきました。基本はルート営業で、お客さまのニーズを引き出してポンプや空調設備などを提案することが仕事です。最初はわからないことだらけでしたが、社会にとって不可欠なライフラインを支える仕事だということを、新人の私も誇らしく感じました。
先輩との同行訪問を終え、入社半年後にはいよいよ1人で行動するようになりました。私に課せられたのは、しばらく取引の途絶えているいわゆる“休眠顧客”の掘り起こし。
そこでの初契約は鮮明に覚えております。たまたま先方の担当者が私同様に1年目の新人で、訪問をきっかけに意気投合し、コミュニケーションを深めていったのです。そんな中で「某メーカーの製品を取り扱いたい」というニーズを聞き出すことができ、それに応える提案を行って、見事に受注に結びつけることができました。とても嬉しい出来事でした。以来その担当者とはいい関係を築くことができ、先方が地方に異動となった今も、連絡を取り合っています。
もちろん私の1人の力で成果を出せたわけではありません。そもそものきっかけは上司の「この会社に足を運んでみたら」という一言でした。上司は自分の経験から、ここには絶対に潜在的なニーズがあるはずと判断し、私に勧めてくれたのです。この嗅覚がズバリ的中。
実はそれだけではなく、担当者と良好な関係を築けた事をきっかけに、先方の他の支店にも「橋本産業に頼んでみたら」と私のことを売り込んでくれました。そして、行ったことのない地域からの発注にもつながっていったのです。
重要顧客との取引を通じて、より大きな成長を
2年目の夏、横浜支店に異動しました。ここで私は、橋本産業にとって重要顧客と位置づけられる大きなお客さまを担当することになりました。正直それは2年目の私にとっては荷が重く、驚くとともに“無理!”と思いました。商材についての知識が不足しており、営業としてのスキルも十分ではありません。責任を果たせる自信がなかったのです。
実際に担当になるとやはり大変。会社の期待に応えたいという気持ちで、壁を乗り越えようと今も必死にもがいているのが正直なところです。 けれど私の持ち味は、物おじしないで突進するところ。自分らしい営業スタイルを貫きながら壁を乗り越えていきたいと思います。
就活で私を誘ってくれた先輩の「仕事は楽じゃないけれど、楽しいよ」という言葉を、今も時々思い出します。現在の私は、仕事の大変さを痛感しながらも、橋本産業という会社の“楽しさ”も実感しています。それはやはり人のよさ、人間関係の心地よさに尽きるでしょう。
例えば疑問に感じたことを質問すると、先輩はどんなに忙しくても、ちゃんと向き合いながら答えてくれます。自分にもわからないとき、手に余るときは「あの人に聞いてみたら」と紹介してくれますし、時には一緒についてきてくれて、質問を引き渡してくれることも。とことん面倒見のいい会社だと思います。
学生時代、社長とは遠い存在だと思っていたのですが、想像したよりも距離が近く、話のできる場面もあり驚きました。こうしたカルチャーが、当社の人間味あふれる社風につながっているのだと感じています。
今はとにかく横浜支店で実績を上げることが一番の目標です。そのためにも担当している顧客との関係をより確かなものにし、壁を乗り越えていきたいと考えています。地道な努力を続ける大切さは、野球に教わりました。苦しくても投げ出さず、素振りを続けるように、一歩ずつ進んでいきたいと思います。
そしていつか、後輩たちが私の背中を見て「あの人がいるから自分も頑張る」と思ってくれるような、そんな存在になれたら嬉しいです。