「阪急阪神百貨店があってよかった」。そんな感動を創造する。
このストーリーのポイント
- クリエイティブな仕事がしたいと考えて百貨店へ
- 仕事を任されたことで、自ら考え、自ら実行する力がついた
- 一つの職場に留まらないことで視野が広がる
現状に満足せず常に変革の意識を持ち周囲に発信を続けている。一人一人の意見を受け入れ、一丸となり前に進む風土に、「懐の深い会社」と感謝する。幅広い分野への知見を備え、阪急本店の事業戦略を決めるという重要な仕事を長年担当。背景にあるのは、変わることのない“阪急愛”だ。
-profile-
株式会社阪急阪神百貨店
阪急本店 店舗事業計画部 マネージャー
2011年入社/理学部理学科数学専攻
大阪府出身。阪急沿線に住んでいたこともあり、子供の頃から「百貨店といえば阪急」と育ってきた。学生時代は数学を学び、純粋数学の世界で生きたいと憧れたものの、競争の厳しい世界と知り、断念。阪急阪神百貨店入社後は、売場、広報、事業計画部門と、幅広い経験を積む。
百貨店の仕事はクリエイティブだ
幼い頃から百貨店といえば阪急。足を運ぶことはめったになかったですが、それでもたまに家族で買い物に行くときは、子供心に「今日は特別な日」という思いがありました。中学生で西宮に引っ越して、大学在学中に「西宮阪急」がオープンしたときは嬉しかった。「自分の住む街にも阪急ができた!」と、誇らしい気持ちになったのを覚えています。
中学から数学が好きだったので、大学では数学を専攻しました。数学は無機質と思われがちですが、とても人間くさい学問で、フェルマーの定理だって面白いから、あんなにも大勢の人が惹きつけられたのだと思います。決して無味乾燥な学問ではありません。
とはいえ、そんな数学の学びもそこそこにほとんど何もしなかった学生時代でした。サークルにも入らず、アルバイトもせず、今振り返っても何をして過ごしていたか、よくわかりません。テレビを眺めたり、ネットサーフィンしたり、映画を観たり、そんな毎日でした。ヒマすぎて図書館の名画コレクションを全部観たほどです。もっと有意義な時間の使い方をすればよかったと、今は後悔だけが心にあります。
数学専攻はほとんどが大学院に進学し、残りのわずかの就職者も保険のアクチュアリーか金融のトレーダーか学校の先生になります。私にはそのどれもピンとこなくて、母親の「みんなスーツ着て就活してるで」の声に追い立てられるように学内の合同説明会に参加するなどしていました。阪急阪神百貨店を知ったのはそのとき。ガラガラのブースが目に入って、担当者に誘われるままにイスに腰掛けました。
当時私が漠然と思っていたのは、広告業界などのようにクリエイティブな仕事がしたいということです。しかし阪急阪神百貨店のブースで説明を聞くうち、百貨店というのは接客の仕事だけじゃなく、イベントの企画や売場の演出など、クリエイティブな要素が多いことに気がつき、俄然興味をもちました。もともとファッションが好きだし、この道もあるんじゃないかと思ったのです。
決め手となったのは、会社の雰囲気でした。他社の面接ではストップウォッチで計られながら自己紹介しなくてはならなかったのに、阪急阪神百貨店では「だいたい3分ぐらいで」というアバウトさ。そんなところに感じられた、肩の力を抜いていいんだという雰囲気が、私にはぴったりでした。
自ら企画し、実行することで“にぎわい”を創出
新入社員研修の後、入社2年目に配属されたのが、西宮阪急の婦人服営業部門。私が大学生の時にオープンを喜んだ、あの店です。もちろん婦人服を売るなんて経験は初めてのことで、苦労はしました。男性ということでの気苦労もありましたし。
同じ店の先輩を見れば、売場のマネジメントも行っており、その姿に「自分もあんなふうになれるのだろうか。成長できるのだろうか」という焦りを感じたものでした。
3年目には、同じ婦人服売場の催事を担当することになりました。たまたま欠員が出て自分にその仕事が回ってきたのです。売場に立ってその仕事を眺めていたときは自分でもやってみたいと思っていたので、チャンスだと飛びつきました。
売場で行われる毎週の催事を、自分で企画し、準備して、実行するという仕事でした。閉店後にお取引先の担当者さんと一緒に設営の準備をし、夜中に階段を駆け上って各フロアを飛び回るなどとにかく忙しい毎日でしたが、充実していました。売場でお客様に向けてどんなメッセージを発信したらいいかを考え、そのために準備し、組み立てていく。毎週それを繰り返していくうちに主体的に仕事に取り組む喜びを知り、着実に成長しているという実感も得られました。
努力の甲斐があり催事の仕事では、売上記録もつくることができました。お客様が大勢押し寄せている光景を目の当たりにすると、ホームランをかっ飛ばしたような手応えがあり、小売業ならではの醍醐味が得られました。
自分の手で“にぎわい”を創出でき、まさにクリエイティブな喜びを味わいました。
こうしたチャレンジができたのも、会社が私に自由に任せてくれたからです。その期待に応えようとすることで、自分で考え、自分で周囲を巻き込んで実行する力がつきました。若手に任せて成長させてくれるのは、当社の大きな魅力の一つだと思います。
常にフラットな視点で、現状否定を恐れない
4年目では販売促進部門に異動し、宣伝広報の担当に。プレスリリースを発行し、メディアに対応するというのが主な業務でした。当時はTVや雑誌といったマス媒体の勢いが落ちてきて、代わりにネットが社会を席巻しだした頃。特にSNSが元気でした。そこでネットでバズらせて、後追いでテレビや雑誌が取材に来る流れをつくろうと画策。ネットメディア各社に電話して自社のネタを売り込み、多くの記事掲載を獲得しました。
こうしたネットを使った仕掛けも、自由にやらせてもらいました。自分で考えてチャレンジさせてもらったことで、伸び伸びと取り組むことができました。
実際に目論見通りにネット記事やSNSを見たマスメディアからの取材にいたり、仕事の醍醐味を感じました。
売場を離れて仕事ができたのも、自分にとってはよかったと思います。ひとつの職場に留まらないことで井の中の蛙にならず、自分の視界がずいぶんと広がったと実感しました。周囲の仲間にも恵まれ、特に当時の私の上司は、社内外から“仕掛け人”と目されていた人。新しいことに対して貪欲な姿勢からは、多くのことを学びました。
手法やノウハウが確立されている職場に新たに仲間入りして、さらなる成果を出すには、現状に満足せず、常に否定しながら変革していかなくてはなりません。視点はフラットに保ち、自分自身をも否定する勇気が必要です。
当然そうした姿勢は、周囲との衝突を生むこともあります。けれど臆することなく言い続けることが大切だと思うし、辛抱強く理解者を増やしていこうと思っています。当社の素晴らしいのは、私のそんな姿勢を受け入れてくれること。多少互いの意見が衝突しても、その中から一緒に前へ進んでいこうという文化があり、なんて懐の深い会社だろうと感謝しています。
学生時代、西宮にできた阪急を見上げたときの誇らしさが原点
現在は店舗事業計画部に所属し、単年度の事業計画や中期3ヵ年計画の策定、大型投資計画等に携わっています。会社の最大の事業である阪急本店の事業戦略全体に関わる業務です。
当然のことながら経営層に近い視点が必要で、より高い視座で課題を捉え、解決策を考えていくことは、今までの業務にはない面白みです。一方で現場の皮膚感覚というものは薄れてきているので、経営視点を持ちつつも現場で汗をかきたいという思いもあります。経営に直結する業務を担いながら自らも現場で営業に汗をかくという働き方もいいかなと感じているところです。
仕事の中で自己研鑽の重要性を改めて感じ、この数年はものすごく勉強するようになりました。会計やファイナンス、会社法を学んだり、経営書を読みあさったり、さらにはマーケティングのスクールに会社から派遣していただいたり。ビジネスパーソンとして貪欲に知識を吸収したいと考えています。
だから今さらながらに学生時代のことがもったいない!
あんなにたっぷりと時間があったのに何もせずだらだら過ごしていたことが悔やまれます。もっと本を読んでおけばよかった、資格でも取っておけばよかったと、後悔するばかりです。
阪急阪神東宝グループの創業者である小林一三は、日本に欧米並みの豊かさを実現したいとの思いで様々な事業を立ち上げました。百貨店にも、多くの人々に豊かな生活を届けたいとの思いが込められています。この原点は私たちにもしっかりと受け継がれています。 大学生の時、「西宮阪急」を見上げて私は「自分の住む街も阪急のある街になったんや!」と誇らしい気持ちになりました。豊かさを実感した瞬間でした。百貨店という業態の存在意義が問われている今だからこそ、私はこの思いを大切にしたい。そして地元関西、日本そして世界中の人が「阪急阪神百貨店があってよかった」と思ってくれるような、そんな存在にしていきたいのです。