オープン&フラット。前職に関係なく輝ける環境がある。
オープン&フラット。
前職に関係なく輝ける環境がある。
このストーリーのポイント
- 結婚を機に前職を退職し、AIG損害保険株式会社に入社
- 手厚いサポートで他業界からの転職でも不安はなかった
- 会社を代表して保険金支払業務を担うやりがい
結婚のために関東の会社を退職して、相⼿の住む九州へ転居。同時に転職活動を⾏ってAIG損害保険に⼊社する。まったく違う業界でゼロからのスタートとなったが、⼿厚い研修制度もあって無理なく業務に就くことができた。希望勤務エリア外への転勤がない仕事のため、安定した⽣活基盤を築けることに魅力を感じている。
AIG損害保険株式会社
工藤 駿
損害サービス部門
九州・沖縄損害サービス本部
大分サービスセンター
2019年、教育学部英語⽂化系コース卒業後、⾸都圏の不動産会社に営業として⼊社。結婚を約束していた⽅との将来を考え、相⼿の地元である⼤分県で暮らすことを決意し、退職。2020年1⽉、AIG損害保険株式会社に⼊社する。⼤分サービスセンターで保険⾦⽀払業務を担当。
社会人スタートは不動産営業として
教育学部で学んだのは、教員を⽬指していたためです。それまで“働く⼤⼈”として最も⾝近だったのは学校の先⽣たちでしたから、⾃分も働くなら教師になるのが⾃然だと思いました。
考えていたのは⾼校の英語教師です。ただ⼤学に⼊ってみると、周囲には⾃分より⾼い英語⼒をもった⼈たちばかり。しかも教育実習に⾏く予定だった⾼校も優秀な進学校で、私よりよほど英語のできる⽣徒ばかりでした。臆してしまった私は教員の道をあきらめました。
教員になる夢の代わりに見つけたのが、営業としての別の道でした。
私は昔から目立ちたがり屋というか、誰とでも話せるタイプの人間でした。小学校から野球をやっていたんですが、監督やコーチ、保護者と話すことが苦ではなく、むしろ大人たちと接することが楽しかったです。監督がチームを指導するときも「みんな、工藤を見てみろ、いつも楽しそうだぞ。工藤のように明るく話せ」と言っていました。コミュニケーション力はそれなりに備えていたと自負しています。
そんな私について友人たちは「営業になったらいいんじゃないか」「たくさん売りそうだ」というようなことを言ってくれて、私も“確かに営業に向いているかもしれない”と考えて就職活動に臨みました。
やるなら営業。そう決めて、業種・業界は問わずに⼿当たり次第に受けました。当時住んでいた広島から夜⾏バスに乗って東京へ⾏き、まとめて5社の⾯接を受けて帰ってくるというような就職活動でした。
その結果、⼊社することになったのが⾸都圏の不動産会社。とにかく社⻑がパワフルな⽅で、その勢いには圧倒されっぱなし。「⾃分もこんな営業になりたい」という憧れで⼊社し、その社⻑を⽬標に、勉強させてもらいました。新⼈ということもあって電話対応や賃貸物件の管理などが主な仕事でしたが、社⻑の商談にも同席させてもらい、営業としての基礎を学びました。
未知の土地の、未知の業界へ
社長に憧れて入社した不動産会社を2年目に退職することにしたのは、結婚のためでした。
当時、私には学生時代からお付き合いしている方がいました。彼女は大分県の出身で、卒業後、郷里に帰って教師の道に進みました。当初私は不動産会社の営業としてバリバリ稼いで、彼女を首都圏に呼び寄せる意気込みだったのですが、実際に働き始めてみると、どうやらそんなに甘くはなくて、稼げるようになるにはずいぶん時間がかかりそうだとわかってきたのです。それにせっかく教師になれた彼女を、いくら結婚のためとはいえ、退職させるのは心苦しく思いました。
そこで思い切って私が会社を辞め、彼女の住む大分県に行って結婚することを決心したのです。
私の決断を当時の会社の皆さんは快く受け入れ、社長も笑顔で送り出してくださいました。
大分県は、私にとって初めての土地です。仕事のあてもなく移住したわけですが、なんとかなるんじゃないかと思っていました。基本的にポジティブな性格なんです。
落ち着いた頃に転職活動を始めたところ、見つけたのがAIG損害保険の支払業務という仕事。不動産会社では、アパートから退去する入居者様の費用精算業務を担当していたので、お金に関する仕事ならできるんじゃないかと思いました。
ただAIG損害保険という会社については何も知識がなく、調べたら過去にヨーロッパのサッカーチームのスポンサーであったとわかって、なんとグローバルな会社なんだろうとびっくり。首都圏の地場の不動産会社とは全然違う立ち位置の会社なんだと思い、英語を学んでいたこともアピールできるんじゃないかと考えて、受けてみることにしました。
面接で印象に残っているのは、「ストレスのある仕事ですよ」と言われたことです。会社のいいことだけでなく、そんなマイナスなこともストレートに言ってくれるなんて、嬉しく思いました。実際、働いてみたらそこまでストレスフルな仕事ではなかったのですが、あらかじめ教えておいてもらったことで、気持ちの準備をして入社することができました。
他の会社も受けたのですが、最終的にAIG損害保険への入社を決めたのは、不動産会社の営業職として身につけたコミュニケーションスキルを活かせそうだと感じたからです。もう一つの決め手が、希望勤務エリア外への転勤がないことです。彼女は教員ですから、結婚後も大分県内で働き続けることになります。AIG損害保険という全国展開の金融会社に勤めながら希望勤務エリア外への転勤がないというのは、将来の生活を考えても、非常に大きなプラス要素でした。
彼女も「よく見つけたね」と喜んでくれました。
同じ答えがない仕事だから面白い
まったくの異業界からの転職でしたから、不安がなかったわけではありません。この点については⼊社後の研修で保険について基礎から学ぶことで、払拭できました。研修は、コロナ禍ということもあってリモートで行われました。同時期に中途⼊社した仲間は数名。中途入社であっても同期の仲間がいるというのは⼼強いもので、その中の何⼈かとは今もメール等で連絡を取り合っています。
その後は配属された大分サービスセンターで先輩の指導のもと、OJTで仕事を覚えていきました。並行して九州・沖縄損害サービス本部の主催で月に1回程度の勉強会が開かれ、他の中途入社社員や若手社員と一緒に勉強しました。
コロナ禍が続いていたため在宅勤務の毎⽇でしたが、スムーズに業務を吸収できたのは、こうした厚い研修体制のおかげでした。
⼤分サービスセンターで私が担当しているのは、保険⾦⽀払業務です。具体的には⾃動⾞保険に加⼊の⽅が事故を起こした際、第三者の物に発⽣した損害、第三者の怪我に対しての補償、⾃分の⾞に起こった損害、⾃分の怪我などを説明し、保険金をお支払いします。そして加害者・被害者が納得感をもって⼀⽇でも早く円満に解決できることを⽬指します。
事故には⼀つとして同じものがありません。同じように思えた事故でも、解決⽅法はみんな違います。同じ答えがないところがこの仕事の難しさであり、⾯⽩さでもあります。加害者・被害者双⽅が折り合える最善の道を探っていくことが、私たちの使命です。
例えば交差点での出会い頭の事故の場合、⼀⽅だけが100%悪いということはあまりありません。事故というのは、お互いの過失の結果、⽣まれるものです。その責任の割合を相手方や保険会社と話し合いながら交渉し、どのように解決まで進めていくかが、私の腕の⾒せどころです。状況を見ながら千差万別の対応を行い、双⽅が納得できる解決に導いたときは⼤きな達成感が得られますし、「早く終わらせてくれてありがとう」という具合に感謝の⾔葉をいただくこともあります。
私たちは裁判官ではありません。大切なのは“裁く”ことではなく、いかに双方に納得していただけるかということです。そのために勉強を続けなくてはなりません。本当に奥の深い仕事だと感じています。
会社の看板を背負う責任が誇りに
入社してちょうど1年たった頃、社内の競技会に出場しました。各地域の代表者が集まって支払業務の交渉ロールプレイを行って技量を競い合うというもので、九州代表として私が選ばれたのです。他業種から転職して間もない私にこのようなチャレンジの機会を与えてくれたことは、本当に嬉しかったです。
ロールプレイですので準備をするには、相手役を務めてくれる人が必要です。直属の上司や先輩はもちろんのこと、出張先の上席の方も「練習につきあうよ」と声をかけてくれました。おかげで十分な練習を積むことができました。頑張る仲間を周囲の仲間が支えようとする風土、新卒入社や中途入社の分け隔てなくフラットに接することのできる環境は、当社ならではの素晴らしいカルチャーだと思います。
残念ながら競技会では優勝を逃してしまいましたが、この経験から得たものは大きかったです。
先ほどもお伝えしたように、個々の事故の状況を、しっかり把握し、常に公平な支払対応を行っていくことが私の仕事の使命です。だからこそいかに多くの事例を経験するかが⼤切だと思っています。場数を踏んでいくことで、新しいケースに出会っても参考にする事例を振り返ることができるでしょう。経験の数だけ知識の引き出しは増えていきます。
多くの経験を積むことで、常に落ち着いて的確な対応ができるようになっていくことが今の私の⽬標です。また、⾃動⾞保険以外の分野でも専⾨性を磨いていきたいと考えています。
保険金支払業務に際して私の発する一言は、AIG損害保険という会社を代表する一言になります。その責任は非常に重いと感じています。
思い起こすのは中学の野球部です。顧問の先生からは「君たちの一挙手一投足は見られている。学校の看板を背負っていることを忘れるな」と口を酸っぱくして指導されたものでした。
あのときと同じように、私はAIG損害保険の看板を背負ってお客さまと向き合っています。その責任の重さが私のやりがいであり、誇りです。