落ち込んだときこそ、成長のチャンス。自分と向き合えば、新しい可能性が見えてくる。
落ち込んだときこそ、成長のチャンス。
自分と向き合えば、新しい可能性が見えてくる。
このストーリーのポイント
- 自信を失ったときに支えてくれたのは、同期入社の仲間
- 主任に昇格して意識が変わり、リーダーシップを発揮するように
- 将来は、人を育てられる人材になりたい
思ったように仕事ができずに、自信をなくしたこともある。主任に昇格することが怖かったこともある。けれど、低くしゃがむほど高く飛べるのが人間だから、どんな壁も乗り越えられると信じてきた。そんな成長の環境がここにある。
やりたいことに挑戦できると、入社を決める
学生時代は吹奏楽サークルに打ち込みました。担当は打楽器です。
初心者としてのスタートだったので、みんなのお荷物にならないようにという思いでしたが、先輩や同期の仲間が支えてくれて、楽しく過ごすことができました。
一番の思い出は初めての演奏会です。人前でちゃんと演奏するのは初めてということもあってとても緊張しました。ステージの上から会場のお客様の顔を見たときの気持ちは、今も忘れられません。
大手スーパーでのアルバイトも思い出深いです。私は日用品の売り場の担当で、品出しやお客様への対応などを行いました。印象に残っているのは、自分が陳列した商品を初めてお客様が買ってくれたことです。陳列といってもただ棚に並べただけなんですが、それをお客様が手に取り、カゴに入れてくださいました。それだけのことなのに、すごく感動したのを覚えています。
Olympicについては以前から家の近くにあるお店に行っていたので、よく知っていました。傘を買ったり、靴を買ったり。比較的安くて気に入るものが置いてあったので、いい印象を持っていました。
入社の決め手になったのは、説明会で「やりたいことに挑戦できる」と聞いたことです。チェーンストアでありながら店舗へ権限委譲を行う「売場中心主義」を大切にしており、社員の意思を尊重して自由にやらせてくれるという点には強く惹かれました。
落ち込んだ自分を支えてくれたのは、同期の仲間
入社して配属されたのが「武蔵浦和店」でした。担当はグロサリーです。Olympicでは配属と店舗が同時に決まります。私はアルバイトの経験から日用品を志望していたのですが、グロサリーに配属されました。
日用品とグロサリーの違いはあっても、自分にはスーパーでのアルバイト経験というアドバンテージがあるんだから大丈夫。そんな自信は、しかし、すぐに消えていきました。グロサリーは食品なので賞味期限には注意が必要だし、陳列も気を付けないとパッケージが潰れることもあります。自分なら品出しもすぐにできると思っていたのに、手際が悪くて、主任にも叱られっぱなしでした。慢心があったのもあったのかもしれません。そんな自分に気がついて、私はひどく落ち込んだものでした。
アルバイト経験は自分の強みだと思っていたので、面接等ではずいぶんとアピールしました。しかし実際に現場に出てみたら、マイナスになることもありました。
“ここはOlympicの店舗であって、私がバイトしていたお店じゃないんだ”。私はそんなふうに自分に言い聞かせ、“Olympicの社員にならなきゃ”と心に決めました。
そんな苦しさを乗り越えて、何となく自分もOlympicの一員になれたかなと思えてきたのは、1年目の夏頃でした。経験を重ねるうちに主任がお休みの日は売場を任されるようになり、徐々にですが仕事に自信を持てるようになっていきました。やはり経験を積むというのは大事なことだと改めて実感したものです。
仲間の存在も大きかったです。「武蔵浦和店」には同期入社の社員がいて、仕事の帰りにはよく一緒にご飯を食べに行き、本音でトークしました。愚痴もずいぶん言ったと思います。彼女がそれをしっかりと受け止めてくれたおかげで、私は折れずに済んだのかもしれません。心から感謝しています。
その彼女は残念ながら退社してしまったのですが、実は彼女も「辛かったときは佐藤さんに支えてもらった」と話していたそうです。その話を聞いたときは本当に嬉しくて、支え合える同期がいてくれてよかったと思いました。
「武蔵浦和店」の次に配属されたのが「下丸子店」でした。入社7ヵ月が過ぎた2019年11月のことでした。ここで直面したのが、新型コロナウイルス感染症の拡大という異常事態だったのです。
ステイホームが日本中に浸透し、「下丸子店」にも買いだめのために大勢のお客様が押し寄せました。特にレトルト食品や缶詰め、パスタソースなどは、いくら発注しても、入荷するそばから飛ぶように売れていき、棚はいつも空っぽ。品出しのために台車で運んでいるところでも、お客様が手に取ってカゴに入れていく状態でした。
もちろんそんな状態を私1人でどうにかできるわけがありません。ただひたすら、いかに効率的に仕事を進めていくかを考えるので精一杯でした。おかげで手際はずいぶんよくなり、それ以後も常に業務の効率化を考えながら仕事に取り組むようになったと思います。
立場が変わり、環境が変わって、意識も変わった
入社3年目の夏に主任に昇格しました。
入社したときから主任は一つの目標でした。けれどそのときは不安が大きく、むしろ主任にはなりたくないと上司にこぼしてしまったことでした。
理由は、当時は「下丸子店」にいて、私には男性の部下がいました。彼は私より年下でキャリアも浅かったが、堂々と仕事をしていました。日頃からその姿を目にすることで私は、自分が主任できるのだろうかと思うようになり、仕事に対して自信を喪失しました。
もちろん辞令ですから、昇格はしました。でも、胸を張ってという状態とはほど遠く、気持ちが落ち込んだままでのスタートでした。
以前は先輩の主任の姿を見て絶対に超えてみせると思ったこともありました。しかし実際に自分が主任になってみると、その立場にふさわしい仕事ができるという自信はまったく持てず、先輩は凄かったんだと改めて気がついたのでした。
主任としての自覚が出てきたのは次の「志村坂下店」に異動した時です。
これは感覚的なものですが、「志村坂下店」には佐藤彩夏としてではなく“主任”として異動しました。周囲も「佐藤主任がきた」と受け止めてくれ、私を見る目も「下丸子店」にいたときとはまったく違ったので、否応なく“私は主任なんだ”という意識を自然と持つようになりました。
店舗が変わって、周囲が変わり、自分の意識も変わる。異動にはこうした側面もあることを知りました。
主任とは売場の責任者です。私の所属する店のグロサリー売場の責任は、売上も含めてすべて私にかかってきます。その責任を果たすために、時にはパートさんには厳しいことも言わなくてはならないし、指示もしなくてはなりません。その点、以前は及び腰だったと思います。
“こんなことを注意したら嫌がられるんじゃないか”とか“こんなお願いをするなら自分でやった方がいい”とか。パートさんたちの顔色をうかがうようなところもありました。
それが、主任としての意識がしっかりしてきてからは、遠慮せず、言うべきことはしっかり言うというふうに変わりました。主任としてのあるべき姿がわかったと思います。
「志村坂下店」にいたのは3ヵ月という短い期間でしたが、私自身が大きく変わった3ヵ月でした。
壁を乗り越えようとする人の力になりたい
売場は、生き物です。私たちのつくり方一つで、結果もまったく違ってきます。
現在の店ではお手頃価格の商品がよく売れるのですが、だからといって値段の高い商品が売れないと諦めることはありません。高い商品であってもきれいに陳列し、人目を引くように見せることで、お客様もちゃんと立ち止まって商品を見てくれるんです。実際にそうした場面を目にしたときは感動しましたし、アルバイトで自分が並べた商品が売れたときの喜びを思い出しました。
もちろんうまくいくことばかりでなく、売れなくて数字が落ち込むこともあります。それでも次は別の工夫をすればいい。結果が出るまでトライ&エラーを繰り返しながら、チャレンジしていけばいいんです。それが主任としての醍醐味です。
Olympicには、産休・育休を取得後に復職する女性はいますし、子育てしながら働き続ける先輩もたくさんいます。ワークライフバランスに関する制度は、間違いなく充実しています。女性だけでなく、育児休業を取得している男性社員もいるほどです。
私自身もやがて結婚、出産というライフイベントを迎えることになると思うのですが、制度面が充実していることは大きな安心感につながりますし、そのときにどんな選択をしても大丈夫だと思っています。
私は自分の売場が大好きなので、売場に対する責任もしっかりと果たしたいし、だからといってプライベートで無理はしたくありません。公私ともに充実した時間を過ごせるのが、Olympicの魅力です。
直近の目標では、現場で“人を育てられる人材”になりたいと考えています。
Olympicでの仕事は楽しいし、間違いなく自分を成長させることができます。一方で私がそうだったように壁にぶつかったり、悩んだりすることもあります。そこで心が折れてしまうことがないよう、人を支え、成長を支えてあげられるようになりたいのです。
新卒研修ではチューターとして新入社員をフォローしてますが、これもそうした思いに支えられてのことです。新人のみんなからは、この先、心が弱ったときには気軽に相談してもらえるような存在になれたら嬉しいです。そのためにも私自身、もっと成長していきたいと考えています。