岡山から未来へ。エンジニアとして、道は自分で拓く。

岡山から未来へ。エンジニアとして、道は自分で拓く。

岡山から未来へ。
エンジニアとして、道は自分で拓く。

このストーリーのポイント

  • プログラムで機械を制御する仕事に惹かれて入社
  • 人を大切にし、お互いをリスペクトする風土が心地よい
  • 世界のものづくりを支える工作機械に携わる喜び

自分のルーツである岡山でエンジニアとしての未来を拓きたいと考え、安田工業へ。学生時代に学んだ機械制御の知見を活かし、プログラム開発の最前線で活躍する。落ち着いて働ける環境があるから、焦ることなく、じっくりと自分向き合って成長していける。

PROFILE
安田工業株式会社

R.K

精機技術部 電気設計課
2016年入社/岡山県立大学大学院 情報系工学研究科 システム工学修了

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愛知県出身。学生時代を過ごした岡山での就職を希望し安田工業に入社。以来、電気設計、プログラム設計に携わる。ハリウッド系の映画が好きで、休日には映画鑑賞で過ごす。クロスバイクも趣味。潮風に吹かれて走る時間を楽しんでいる。

「最大ではなく最高を目指す」姿勢に惹かれて

学生時代こそアルバイトもしましたが、大学院に進んでからは研究に集中する日々を送りました。
専攻はシステム工学です。IT系を学ぼうと大学に入学したものの、PCの中でプログラムを組んで完結するだけでなく、プログラムを使って実際に機械を制御する楽しさに惹かれて進んだのがシステム工学でした。
研究室でのテーマは、人の体にモーションキャプチャーをつけてその動きを解析して機械的に当てはめていくというもの。将来的には介助やロボットの開発などへの応用を目指す基礎研究で、とても充実していました。

学部時代に経験したライントレースロボットの実験はとても印象的でした。就職活動で私がメーカーを志すようになったのは、このためかもしれません。そして出会ったのが安田工業。就職活動を始めるまで社名を耳にしたことはなかったけれど、合同説明会で事業内容を聞いたとき、ここならやりがいのある仕事ができるのではないかと思ったのです。
「最大ではなく最高を目指す」という理念も胸に響きました。企業理念というのはどこも抽象的なものが多かったのに対し、安田工業は明確に意思表明している感じがしました。私にはしっくりきて、ここなら成長できるという確信がもてました。

生まれてから高校卒業まで愛知県で育ちました。両親は岡山県出身で祖父母は今も岡山で暮らしており、両親も「リタイヤしたら岡山に帰りたい」と口にしていました。
だから岡山には昔から親しみがあり、私にとってここでずっと暮らすことは自然な選択でした。温暖な気候で災害が少なく、晴れる日の多い岡山は、人も風土も穏やかです。この先も岡山で暮らしていくうえで安田工業に出会えたことは本当によかったと思います。祖母も私の就職を心から喜んでくれました。

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「ありがとう」と自然に言い合える文化

安田工業に決めた理由の一つに、オフィスや工場を見たときに、明るく清潔だったことが挙げられます。きちんと整理整頓された、平然とした職場でした。これは“人を大切にする”姿勢の現れだと私は感じました。
この直感は正しかったと思います。年間休日等を含めた勤務条件は納得できるものであり、仕事もプライベートも充実した時間が送れます。産前産後休暇・育児休業制度など、女性が長く働くための福利厚生制度も整っていました。私もこの先様々なライフイベントを迎えることになるでしょうが、1人のエンジニアとして道を拓いていきたいと考えています。そうした生き方を実践するうえで、人を大切にする当社の姿勢はとても心強いものです。

創業したのは1世紀近く前という、非常に歴史あるメーカーが安田工業です。老舗ではあるものの社内には若手が多く、フラットでオープンな雰囲気があります。性別の違いによる壁のようなものは感じたことがありません。入社以来、女性だから、男性だからと仕事のうえで違和感をもったことはないです。
特に驚いたのが、社員の誰もが小さなことでも自然に「ありがとう」と口にすることです。私は「ありがとう」じゃなくて「すみません」と口にしてしまうタイプだったので、この風土には感動し、自分も「ありがとう」と言わなくちゃと思いました。年配の社員が若い社員に向かって、あるいは役職者が部下に向かって、自然と「ありがとう」と言える、そんなカルチャーが私は大好きです。

最初に担当したのは制御盤や操作盤の電気設計でした。当社の製品である工作機械を正しく動かすためには、プログラムによってどのような回路で電気が働くのか、理解しておくことが重要です。電気については学生時代に基礎的なことは学んでいたものの、やはり知識面でのハンデはありました。そこは入社後の学びで補うしかありません。そんな決意での入社でした。
電気設計をしていた2年間ほどで、エンジニアとしての幅はずいぶん広がったと感じています。プログラムの作成においても、このとき学んだ知識は不可欠のものになっています。

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世界の工場へ送り出す工作機械に携わる

現在の私の主な業務は、工作機械の動きに関わるシーケンスもしくはラダーと呼ばれるプログラムを作成することです。このプロクラムがなければ工作機械が動くことはありませんから、まさに命を吹き込むようなもの。あってはならないことですが、万が一プログラムにミスがあって工作機械が想定外の動きをするようだと、最悪の場合、操作する人に怪我を負わせてしまいかねません。自分の作成したプログラムで機械が動くのは面白みである一方、それだけ重い責任を負っているという意識も忘れないようにしています。

若い人材が多いこともあって、経験の浅いうちからどんどん責任ある仕事を任せてくれるのが当社です。私も3年目からお客様に納入する工作機械を担当させてもらいましたし、新たに開発する案件にも携わらせてもらいました。少し背伸びすることで経験を積んでいける、そんな環境があると感じています。
ただお客様のところへ出荷する工作機械の仕事と電気に関する改良業務が重なったときは大変でした。様々な仕事が同時進行となり、業務量が多すぎてパンクしそうになったのです。そのときは職場の先輩や仲間が私の仕事を引き受けて、助けてくれました。「ありがとう」の文化にも通じることですが、互いを思いやり、支え合うことは、当社ならではの魅力だと思います。製品のクオリティの高さも、そうした文化によって支えられているのではないでしょうか。

海外の案件に携わったことも印象的でした。タイの工場で使われている工作機械の部品を交換することになり、その作業が問題なく行えるよう、指示を送ることになったのです。本来なら現地に飛んで立ち会うところ、コロナ禍のため、やむを得ずリモートで行うことになったわけです。
入念な準備を行ったので絶対に失敗はしないはずでしたが、当日はやはり緊張しました。「ちゃんと動くだろうか」と心配しながら作業を進めたことを覚えています。問題なく作業が修了したときはホッとすると同時に、無事に責任を果たせたという達成感がありました。
当社の製品はこのように海を越えて世界各地の工場で使われています。国際的に高く評価されているそんな製品に携われることは、エンジニアとしての大きな喜びです。

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目の前の仕事を通じて着実に成長したい

入社6年目となりました。目標としているのは、私の所属する電気設計課の先輩です。先輩は知識やノウハウが豊富で、幅広い機種の仕事を担当しています。その背中を見ながら私は、将来的には先輩のように様々な種類の工作機械に携われるようになりたいと思っています。身近なところに目標とする存在があることに、とても恵まれた環境だと感じています。

成長のためには、やはり経験を重ねていくしかありません。現在は機械の改良がメインで、いずれは新規の開発案件にも携わりたいですし、マネジメントの仕事にも挑戦したいと思っています。
一方でまだまだ知識不足を痛感することが多く、電気設計課の他のメンバーにその点を指摘されることも珍しくありません。時には耳の痛い忠告をされることもあり、そのたびに私は、自分にはまだ甘いところがあるのでもっと成長しなくては、と思います。

大好きな岡山の地に根を張って、世界のものづくりを支える工作機械を送り出していく。そんな生き方ができていることを、私は心底嬉しく思っています。この先の長い人生、どんなふうに生きていくのかまだ想像できませんが、ここでエンジニアとして成長し続けたいという志だけははっきりしています。
焦ることなく、目の前の仕事を一つひとつ乗り越えながら、着実に成長していくつもりです。

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