終わらない現場はない。人脈と柔軟な対応力を武器に挑戦を続ける

終わらない現場はない。人脈と柔軟な対応力を武器に挑戦を続ける

終わらない現場はない。人脈と柔軟な対応力を武器に挑戦を続ける

このストーリーのポイント

  • 「もっとワクワクする人生を送りたい」その一心で転職に踏み切る
  • 全国展開企業で自分の市場価値を高めたいと考え、営業未経験ながらリックに入社
  • 職人との人脈と、現場に真摯に向き合う姿勢が評価され営業リーダーへと昇進

全国展開によるスケールメリットを活かし、業績を拡大するリック。お客様から寄せられる多様なニーズに日々応え続けている。時には、難易度の高い要望や、予期せぬアクシデントに直面することもある。しかし、どんなことがあっても逃げず、現場に向き合っていくのがリックの営業スタイル。今や営業リーダーとして活躍する大河原は、そのトップランナーと言える。

PROFILE
リック株式会社

大河原 清光

東関東ブロック 千葉営業所 営業リーダー
2013年中途入社
教育学部卒

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山形県出身。大学を卒業後、地元に戻り安定した職に就くが、「既定路線を走るだけの人生で良いのか」と疑問を抱き、リックに営業として中途入社する。未経験からのスタートのため最初は苦労したが、自分の武器を磨き上げていくことで成果を生み出していった。現在は、千葉営業所で営業リーダーを務める。趣味は読書。ミステリー小説が大好き。

都会への憧れもありながら、一旦は地元で就職

生まれ育ったのは山形県。子どもの頃から体を動かすのが大好きで、中学・高校ではバレーボール部のキャプテンとしてチームを率いていました。大学で打ち込んだのは、アルバイトです。家庭教師や居酒屋、コンサートの設営など種類はさまざま。入学してすぐに始めて、卒業までほぼ毎日続けていました。稼いだお金で洋服を買ったり、友だちと美味しいものを食べに行ったり、ふらっとどこかに出かけたり、自由な生活を楽しんでいました。

就職活動では営業や総合職として働ける会社を中心に探していました。人と接するのが好きだったからです。特に業種・業界は絞りませんでした。なので、メーカーや証券、アパレルなどへ色々とエントリーしていました。心のどこかには、「都会で働けると良いな」という憧れがあったのは事実です。ただ、面接を受けるために何度も上京する経済的なゆとりもなかったので、地元・山形や仙台の企業を中心に受けていました。

それで最終的に選んだのは、山形県内の農業協同組合(JA)を取りまとめる組織でした。その組織の職員として働くことになったんです。営業ではなく、どちらかと言えばコンサルタント寄りの特殊な職種。安定性が抜群な上に、募集枠もかなり少ない中で選んでもらえたということもあって、就職することを決めました。

そこで私がまず担当したのは、県内のJAに対する経営支援。具体的には、経営企画部で会計・税務・法務・労務等の相談対応や各種提案などの業務を担いました。組織としては、基本的にゼネラリストの育成を目指していたので、ジョブローテーションが盛んでした。私も4年目には異動となり、次は農業農政部に所属し、営農農政担当として現場の声を農業政策に反映させる業務に3年間従事しました。

いずれも若手職員にとっては、登竜門的な仕事でした。その上で、さらにさまざまな経験を積んでいき、将来的にはライン管理職かJA監査士の資格を取得し、監査のプロを目指すというのが、王道的なキャリアステップでした。

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自分の力を試してみたいと新たなジャンルに踏み出す

ただ、私としてはその二つの業務を経験した段階で、将来のキャリアプランが固まってしまっている状況に大きな疑問を抱くようになりました。「狭い地域社会の中で何も刺激がないまま今後の人生を過ごしていくのが果たして面白いのであろうか」「与えられた仕事を粛々とやり続けるだけの人生で良いのか」という疑問が浮かんできたのです。ただ、周囲は誰も共感してくれません。「わざわざ辞める必要はない」という意見が大半。1年ぐらいは自問自答の日々が続きました。

それでも、「このままでは終わりたくない」という気持ちが強かったです。思い切ってチャレンジして駄目ならそれも仕方ない。自分はそこまでの人間であったと割り切れます。でも、自分には「何かしらできるだろう」という根拠のない自信もありましたし、社会のことを分かったような顔をして経営相談に応じている「ちぐはぐさ」に対する葛藤も大きかったです。それで、思い切って退職することにしました。

それから、営業職に絞り込んで本格的な転職活動をスタートさせました。ただ、第二新卒の世代ではなかったので、営業未経験歓迎という案件は少なかったです。そんな中、リックは「営業・業界経験不問」「即採用」「仙台営業所勤務」「全国転勤あり」という求人内容で、仕事内容としても私の好きなインテリアや建築資材の提案でした。まさに、新たなジャンルに挑戦するチャンスを与えてくれている気がしたんです。「すべてが自分にフィットしている」「ここで、自分の力を試して自己成長に繋げていきたい」と感じ、すぐに応募しました。

話を聞いてみると、リックは業界ナンバーワンの全国展開企業。「自分の市場価値を高めるには最上の環境だ」と実感できましたし、すべてがガラス張りで個人裁量も大きいとのこと。「何かしらの形で前職の経験を活かせるのではないか」と考えました。加えて、面接を担当していただいた当時の営業所長がとても魅力的な方だったんです。「この人のもとで働いてみたい」と思いました。このような出会いから、リックでの営業としてのキャリアが始まりました。

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リックの最大の強みは圧倒的な施工力であると気付く

入社後は大阪本社で3日間ほどの研修を受講し、会社の仕組みや業界動向、システムなどを学びました。それからは仙台営業所に戻って半年間ほど先輩の営業活動に毎日同行し、仕事の段取りや商談の進め方を現場で一つひとつ習得していきました。

先輩はいずれも、私よりも10歳以上年上の大先輩ばかり。リックの社風でもあるのでしょうが、皆さんとても優しいというかフランクなんです。わからないことを聞くと丁寧に教えてくれました。何しろ前職は、「人に聞く前に徹底的に自分で考えなさい。軽々しく聞くものではない」という真逆のスタイル。前職との違いに良い意味で戸惑ってしまいました。

最初に私が担当したのは、規模の小さめな内装工事業者さんやインテリア専門店のお客様でした。当時はまだ東日本大震災直後。営業所が東北にあったということもあり、内装材だけでなく建材やお風呂、キッチンなどさまざまな商品の提案が求められていました。ルート営業なので、まずは顔を覚えてもらうことからスタート。信頼が得られるまで何回も通い続けました。

何度も何度もお客様に怒られながらも、とにかくお客様と向き合い、懸命に課題を解決していく。その姿勢を評価してくれたのが、今も私がお世話になっている職人の皆さんでした。無理な依頼であっても聞いてくれる職人さんがいることが、私の武器となりお客様からの信頼獲得に繋がっていきました。

さらに、他社に勝つために私が工夫したことが幾つかあります。一つは、商品だけでなくリックの最大の強みである施工もセットでお届けすること。これはかなり手応えがありました。次第に「大河原に頼めば施工もしっかりやってくれる」という評判が出来上っていきました。並行して、私の仕事を請け負ってくれる職人さんをどんどん作っていけたことも追い風になりました。現場でお会いする職人さんにいつもお声掛けをして、仙台営業所としてはお付き合いのなかった方も紹介してもらっていました。

その延長線上で、逆にお客様へ仕事を依頼することもありました。リックの取り扱い商材を買ってもらうだけでなく、私からも仕事をお願いすることで、注文量が自然と増えていきました。おかげで、3年目あたりからは数字が安定し、単月ベースで営業所トップの成績を何度か上げることができました。次第に仕事が楽しいと思えるようになってきたのもこの頃からでした。

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営業所が変わってもやるべきことは変わらない

仕事が順調になってきた矢先に、千葉営業所への転勤が伝えられました。驚きましたね。リックには年に一度の自己申告制度があり、「東京に行きたい」と申告書には書いていましたが、東北から関東に異動した事例は珍しかったですし、正直、私にとって千葉は全く想定外の場所でした。東京ではなかったものの、一歩前進と前向きに捉えようと気持ちを切り替えました。

ただ、実際に異動してしばらくはかなり苦労しました。ゼロからのスタートでしたからね。土地勘もなければ、何でも気兼ねなく頼める職人さんもいません。はっきり言って、武器がなくなってしまったんです。なので、1年間は鳴かず飛ばず。即戦力として千葉営業所に来ているので、「とにかく早く結果を出さなければ」と言うプレッシャーを味わう日々でした。それでも、仙台と同様に先輩の皆さんは優しかったので、職場には受け入れてもらえていた気がします。

結局、私がやることは仙台と一緒でした。施工が鍵となることはわかっていたので、とにかく自分だけの職人さんとのネットワークを作るために、会う人会う人に紹介してもらえるようひたすらお願いをしました。おかげで2年目からは大きな規模のお客様を担当させてもらえたんです。その後も、仙台時代のお付き合いを頼りに新たな職人さんと繋がることができ、千葉に来て3年目には全社で2位の営業成績を上げ、優秀営業として表彰されました。以後も、コンスタントに数字を上げており、営業所内ではトップを誇っています。

それもあって、2024年4月から営業所でNo.2のポジションとなる営業リーダーに昇格することができました。やはり、打診されたときには嬉しかったですね。「いよいよ来たか!」という感じでした。

また、並行して新人教育を担当するOJTトレーナーも2023年から務めています。こちらは、自ら希望しました。私自身が、リックに入社した当初は苦労しただけに、上司や先輩からしてもらって有難いと思ったことはもちろん、「こうされたらもっと良かったかもしれない」ということもしてあげたかったからです。誰よりも丁寧に教えることができると自信もありましたし、教えた後輩がいずれ誰かを育てていってほしいという想いもありました。なので、私は「そこまでやってあげるのか」と言われるぐらい、面倒を見ています。とにかく、リックに入社してくれたことが嬉しいのです。ただ単に仕事ができるだけでなく、人間的にも素晴らしく輝ける人になってもらえるよう、全力でサポートしています。

教えるという立場を経験したことによって得られた気づきも沢山ありました。新人といっても一人ひとり考え方が違いますからね。また、まだまだ完成形ではないですが、育成の方向性は間違っていないと確信しました。実際、去年入社してくれた新人はポテンシャルが高いこともあって、1年目で新人賞と優秀営業賞をダブル受賞。自分の事以上に嬉しかったですね。これからも、とにかく後輩を助けてあげることが自分の役割だと捉えて取り組んでいきたいと思っています。

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「営業として働くことに魅力を感じる」。そんな会社にしていきたい

振り返ってみると、これまで数多くの案件を仕上げてきましたが、私を大きく成長させてくれたという意味で忘れられないのが、入社2年目に担当した岩手県内の病院の案件です。当時経験した中で最大規模の現場で、予算設定から施工まですべてをワンストップでこなす難しさを経験しました。また、工期がとても短く、まさに「突貫工事」でした。それにも関わらず、引渡し直前になってお客様からかなり広い範囲での貼り替えを要請されてしまいました。「やるしかない」。そんな状況だったことを覚えています。全国から職人さんに集まってもらい、何とか対応しましたが、今考えてみてもかなり過酷であったと思います。その分、無事終えることができたときには、これ以上ない自信と成長を得られました。

この業界には、「終わらない現場はない」という言葉があります。それを改めて実感できました。加えて、やはり「最後は人だな」と思い知りました。「どれだけ助けてくれる職人さんがいるか」。それに尽きます。「リックの最大のメリットを出してくれるのは職人さんだ」と教えられた気がします。

私の今後の目標は、大きく分けて二つあります。まずは、営業という仕事のイメージを向上させ、より多くの働く人たちに魅力や誇りを感じてもらえるようにすることです。「さすがリックの営業だ!」と、お客様はもちろん、社内からも認められるような、圧倒的な価値を創造していきたいと考えています。そのためには、私自身がもっと経験を積み、発言力や権限を高めていく必要があると感じています。そして、同じ目標を共有できる仲間を増やし、共に成長していくことも重要です。二つ目の目標は、こうした取り組みを牽引していけるような、より責任と影響力のあるポジションを目指していくことです。

振り返ってみると、リックへの転職は、私の人生に大きな変化をもたらしました。与えられた仕事をこなすだけの毎日から、自ら考え行動し、挑戦と成長を続ける日々へと変わることができました。リックで自分の力を試すことで、自己実現へと近づいているように感じています。仕事を楽しんで、ワークライフバランスもしっかり実現できていて、いつも笑顔で、周りには仲間がいる。「自分もそうなりたい」と夢を与えられる存在になるのが、プライベートを含めた大きな意味での目標です。

リックは、個性豊かな社員の集団です。だからこそ、どんな人でも活躍できるチャンスがあります。フォローアップ体制も整っています。あとは、そのフィールドで自分がどれだけ価値を見出すかだけです。中途入社をお考えの方にも、積極的に飛び込んで来ていただきたいと思います。

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